ノバティカルクロニクル 帰れトレントへ(前編)①
2014/09/09
トレントに到着した時点これからお世話になるでパオロの住所も電話番号もレストランの名前も知らないし、ホテルも予約してない。しかし私の背中を見るであろう後輩のために、この行き過ぎる行き当たりばったりはできれば改善はしたいと思っている。パドバから電車に乗って北部のトレントへはオペラのアリーナで有名なヴェローナで乗り換えする。しばらくすると明らかに地形が変わってくる。切り立った山脈の間を沿うように電車は走って行く。雨が大量に振ったら土砂崩れが激しそうなくらい切り立った崖が多い。この辺りはアルプスに近いので、かつて氷河があった名残なのだろうかと想像する。
このあたりまで来ると気温が低いからか、山の緑も針葉樹林が多くなって来て、濃緑になってくる。山肌もごつごつしていて、あまり肥沃な感じではなさそうに見える。実際どうなのか知らないが、とにかくひらけた土地は余すところなく農業に使われている。ブドウ90%りんご5%とうもろこし5%(見た目)という感じで、こういう寒いところでブドウが育つのかすら疑問だったのだが実際はブドウだらけだ。平地は家かぶどうかという感じだ。
州都トレントこそ街だが、トレントを中心にして広く小さな町が点在する。この辺りは平地というのがあまりなく、家々は山のふもとにおのおの好きな高度に建っている。壁は結構色んな色に塗られていて、屋根はたいていエンジ色だ。
トレント滞在前半はPerBaccoというレストランのオーナーシェフであるパオロのところに滞在する。
ここでは一日18時間の活動時間中、完全に一人な時間は2時間(朝1時間、夜1時間)くらいしかない。残りはパオロ達のキッチンで料理を教えてもらったり、家族と食事をしたりしている。
パオロはちょっと落合シェフに似ていて背が高く、目が透き通るような青なので外見が強面なのだが、すごく陽気なおじさんで、スーシェフのバーバラ(超美人、多分独身フリー)にヴェッキョでスタンコ(疲れたオッサン)呼ばわりされている愛すべきハードワーカーだ。朝6時からのケータリングと夜6時からのレストランを掛け持ちしている。そしてちょっとこちらが申し訳なくなるくらい人が良い。ちょっとノトの人格が変わりそうなくらいだ。これを食べて味を覚えなさい、こっちにきてこの調理をよく見なさい、一回見せるから次やってみなさい、云々。キッチンの洗い場が洗い物で溢れていた時に洗浄機をまわそうとしたら怒られる。それは自分が後でやるから今は全てのキッチンの動きをよく見なさい、と怒られるのだ。3食全て家族や調理場のスタッフと一緒に食べて、時間がある時はワイナリーや食材店に連れて行ってくれる。知りたい料理はレシピを教えてくれるだけではなくて、わざわざ材料を仕入れて作ってみせてくれる。一度自分が作って、次に私に作らせる。
簡単なトレント地方の料理で参考になったのはフォカッチャくらいだったのだが、イギリス人観光客の参加者が多く、英語で色んなじいちゃんばあちゃんと話して意気投合。トレントではイタリア語で「???」を繰り返しているので、英語が母国語のようにすんなりと聞き取れる。TOEICの点数を上げたかったら英語圏以外のところで苦戦するといいかもしれない。
料理教室終了後、ディナーホールにピアノがあったのでショパンのワルツを披露する。ピアノを離れて久しいが、多分小学生の頃から弾いている曲なので練習していなくても弾ける曲なのだ。パオロが感動して涙目になっている。そんなに喜んでもらえるとノトとしてもうれしい。実はノトは結構長らくピアノをやっていたのだが、特にピアニストになりたかったわけでもないため目標がない上に完璧に弾くことばかりが要求されて嫌で辞めてしまった。1年くらい前にラ・カンパネラ弾きたさに自分でピアノを買ってみて、結局ラ・カンパネラは1ページ目から進んでないものの、好きな曲を好きなように弾ける環境になって、初めて自主的にピアノに向かうようになった。ミスをしないというのは聞く側に不快な音を残さず楽しんでもらうために大切なことだが、それだけでは曲にならない。今思えば自分の曲は精巧なデッサンであり、色彩豊かな絵ではなかったなぁと思う。
そういえば大学の時にフランスに旅行して、パリでピアニストを目指す友人を訪ねたことがある。そこで1曲弾いてもらったのだが、曲の作り方が日本にいたころとがらりと変わっていて驚いた。先に大きな絵を描いて、細部を精密にしていくような作り方をしていた。大胆に華やかにスケッチを描いていくような曲の仕上げ方は文化的なしがらみがやはりあって、日本ではなかなか身につけられないんだろうなと感じた。料理教室は午前中で終わるので、午後はワイナリーやトレント付近の都市に連れて行ってくれる。
ノトは全然ワインがわからないのであまり気の利いた感想を述べられないのだが、”ワインについては何もわからない”旨をイタリア語でパオロに説明できないので連れられるままにワイナリーに連れて行かれる。
一件目のワイナリーではトレンティーノ(トレンティーノ=アルト・アディジェ州の南側半分)を代表する赤のラグレインデュンケル(Lagrein dunkel)という品種と、白のゲヴュルツトラミネール(Gewürztraminer)という品種をテイスティングさせてもらう。ラグレインデュンケルはとても個性が強くて料理と合わせにくそうだった。ウイスキーのシングルモルトみたいな感じだろうか。それをワイナリーの人に伝えると、実際にこの品種はブレンドにもよく使われるらしい。年代違いでテイスティングさせてくれる。年代物になるとウッディーなフレーバーとバニラのフレーバーが出て来て複雑になってくるのがよくわかる。
二件目のワイナリーではテロルデゴ(Teroldego)という品種の赤を2012年から3年ずつさかのぼってテイスティングする。料理もそうだが時間が味に与える影響は凄まじいものがある。このワイン自体もタンニンが強く個性的で、すごーくおいしいというような印象はなかったのだが、パオロがこの赤ワインでチェリーのコンポートを作っていて、しっかりと酸味と香りが残っていてすごくおいしい。
こういうおいしいものを食べたり飲んだりすると、すぐ「日本で」と考えてしまうが、これは日本人特有なのだろうか。思えば日本に旅行に来ている外国人が、日本食を好んで食べても日本食材店に行きたがるのをあまり見たことない。「日本に持ち帰りたい」と考えるのはもちろん新たな発見を日本で共有したいと考えているからであり、その結果東京にはあらゆる国籍の食べ物が存在しているのだと思うのだが、これは日本人の国民性がもたらした結果なのだろうか。
さて、ワイナリーの次の日はボルツァーノというトレンティーノ=アルト・アディジェ州の北側半分の一番大きな都市に行く。ここがもう、びっくりするほどドイツなのだ。全ての標識はイタリア語とドイツ語の並記になっていて、家の作りもドイツ式だ。この日”tedesco”(ドイツの)というイタリア語を覚えた。
この時知ったのだが、この辺りはかつてオーストリアのチロル州に属していたことがあり南チロルと呼ばれていて、日本人が抱いているチロルのイメージはかなり近いと思う。ちなみにチロルチョコのネーミングの由来は、”アルプス山脈を間近に臨むその地域で暮らす人々の素朴さも含め、チロル地方のようにさわやかなイメージを持ったお菓子でありたい”らしいです。
この街では挨拶もドイツ語なのだが、この地方には強い訛りがあるらしく本場のドイツ語とは違うものらしい。
町中でパオロとシルビアとつまみぐいをしまくる。シルビアはとても面倒見のいいお母さんで、丁寧にゆっくり話すのでだいたい何を言っているかわかる。ずっとゆっくり話し続けてくれるので一番イタリア語の勉強になる。
ボルツァーノではビールを飲んでソーセージを食べて、ドイツパンを買って帰る。イタリアに来たのかドイツに来たのかわからない感じだ。
夜はレストランの厨房で働きながら、色々な料理の作り方について教えてもらう。しかしパドバでも若干感じていたが、日本とは明らかに味覚の違いというのがある。日本人が好む味は基本的に食材自体に甘みがあって優しい味で、もっちり、ふわふわ、みたいに食感も大事にされるが、少なくともパドバとトレントあたりでは強い塩、強い旨味、風味のよい油、食感は1つの食材の食感よりコントラストを求めるようだ。何がこのような違いをもたらすのだろうか。日本人がヨーロッパで生まれ育ったらヨーロッパ人の味覚になるのだろうか。
こういった味覚の違いがあるのでこちらで高い評価、価格がついているものが日本人にとって必ずしもおいしいとは限らない。当然逆も然りだ。
感覚的にではなく論理的にこの違いを解明してみたい。サバティカル休暇で何を達成したかを人事に提出しなければならないので、ちょうどいいかもしれない。
つづく