ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

*

民主主義の鐘を鳴らせ ~コンサルがPTAに乗り込んでみた~

   

2年前にベトナムから脱出し、割と平穏な2年間を過ごし、先日子供が小学校に入学した。私はイタリアだのベトナム駐在だのと若干キャリアを遠回りしてきたので、ここでギアチェンジして仕事に本腰を入れていこうと思っていたら、ある日の懇談会で「クラス委員選出」なるものが行われるとのこと。クラス委員とは何かという説明の紙を読んだのだが雑務を親に押し付けているだけにしか読み取れない。しかも、6年間に1度はやれと書いてある。この令和の時代に無償労働を強制するなんて時代錯誤もいいとこじゃね!?私今年からめっちゃ忙しいし、なるべくこういうやばい、頭の悪そうな団体には関わらないようにしようと心に誓い懇談会に向かったら、クラス委員の立候補がいないからということでくじ引きを始めようとしやがるので、そんな非民主主義的なことは許されないだろ!私が変えてやる!と鼻息荒く立候補するに至った。挨拶しろと言われたので、「私はコンサルティングサービスに従事しているのでそもそも無理無駄無償が大嫌い。それにこの令和の時代に他人に意思確認なく無償労働を押し付けるやつの顔を見てみたい。今年この悪しき習慣を改善して来年に引き継ぐ」と、自分がいち保護者であることを完全に忘れ正義全開でメンチ切るに至った。お母さんたちは拍手をして、先生は唖然としていた。そのあと選出されたクラス委員たちは別室に集められて、学年代表やら委員長やらを決めろとのことだったのだが、誰も立候補がいないからクジで・・とまた言いやがるので、そのたびに初回と同じ理由で立候補したら、当たり前だが24年度クラス委員長になってしまった。

 このあと23年度代表から業務内容の引継ぎがあったのだけど、A4で20枚に「この月はこれをやれ」みたいな引き継ぎ業務がびっしり書いてある資料を渡され、言葉もわからないし流れもわからないし書き方もいまいちだし、だいたい委員長の仕事は余計な仕事を増やさないことだろ、なに細かく仕事並べてんだよと腹を立てる。「説明は7割くらいしか理解できませんでした。というか、こんな大量の業務を意思確認もせずやらせようなんて、みなさんおかしいと思わなかったんですか!?」とキレ散らかして帰宅した。24年度の役員のなかには不在時にくじ引きで役員にまで押し上げられてしまった不幸なお母さんもいたが、私が前代未聞の暴走をしたため彼女的”時の人”となり、面白がって私の最初の味方になってくれるようになった。(この時は「誰が何と言おうと私が絶対正しい」と味方を必要としていたわけでもなかったが、この後「何かを決めるときには多数決が必要」というルール(当たり前である)を知ることになり、桃太郎的に味方を増やしていくことになった)

 私は結果的に”始めて会った人にキレ散らかすやばい奴”になってしまったが、そもそも私は根が真面目だしキレ散らかしているのも正当な理由があるので、家に帰って引継ぎ資料をきちんと読み返し理解を深め、年間150時間くらい働かないといけないことに気づいてまたキレ散らかし、しかしキレ散らかしているだけではなにも解決しないのでまずは敵を知ろうとPTAの本を3冊(自腹)くらい読み研究し、PTAもその内部組織であるクラス委員も全て任意であることを初めて知り今のプロセスが法令不遵守ですらあることを認識し、民主主義の風上にもおけねぇと憤慨するに至った。この理不尽を会社の自チームに報告したら「自分は5万円でくじびき代行を探す」だの「”シンPTA~コンサルがPTAを解体してみた”という本を書いて印税で回収しろ」だのソリューションを提示されるに至った。別のコンサル夫婦は子どもがいないにも関わらずPTAを2人で調べ始め、今私の周りは別の意味で「PTAがアツい!」。

 随所でキレ散らかして完全にモンペ軍扱いの私であるが、私からしたら意思確認なく無償で仕事させられるの許容する保護者のほうがどうかしてる。学校においては見て見ぬ振りで放置してきて罪深い。この令和の時代にこんな時代錯誤を皆んなが無視して許容するなて、本当に疑問である。赤信号で横断歩道渡りながら、みんな手を上げなさい、白線からはみ出さないで!と言っているようなもんである。この法治国家で、法律条例以外に人民の行動を制限できるものはないはずなのだ。みんな誰に媚びているのか??何に怯えているのか??反対意見を言うと白い目で見られるとか、子供がいじめられるのが心配なのか?そんなやつほっとけばいい、いじめられたら正当な方法で潰せばいいと思うのだけど、みんなそういう思考でもないのか?面倒だからやり過ごそうという思考なのか?(多分そうだろう)

 人事が決まった後、1週間後くらいに運営委員会というものがあった。わがクラス委員とPTA役員と他のPTAのグループと校長・副校長で予算承認と運動会景品案の承認をするらしい。くだらなすぎて泣ける。こっちは遠回りしてきた人生のキャリア挽回に忙しいんだよ。しかも月曜10時から12時という、週の立ち上げで最も貴重な時間である。私の時間を勝手に奪おうとするだけじゃなく、会議の時間もこっちが調整する前提で、決める内容は運動会の景品案なんて、非常識にもほどがある。私はいろいろ勝手に怒りを募らせて運営委員会に出向き、一通り議題が終わった後、校長と副校長とPTA役員と他委員会メンバ全員にいかにこの組織運営が間違っているかの大演説(10分喋り倒す)をした。自分がどう見えているかではなく、完全に正しい正論をひたすら提示した。そしたらその場で「私もそう思います!私はむしろPTAそのものに反対だ」とのってくれたお母さんと、「私も同意するところはある、私も前の学校ではコロナをきっかけにPTA業務を見直したし、そういう時代の節目である」と校長(新任、しがらみがない)からも言葉をもらえて、更にそれが議事録にものり、意外と若干風向きが変わった。一人キレ散らかしている委員長以外に選出された役員たちは、私が委員長になった時から賛同と困惑との間にいたが若干安堵の様子であった。(多分) その夜本件を旦那さんに報告したら、「Mi-chan(子)が6年間Hard timeになるから暴れてくれるな」と日本人みたいなことを言っていた。

 ブチぎれているだけだと議論が進まないので、改善提案書を作成して勝手にプロジェクト化した。一応業務改革プロなので根回ししとこうとPTA役員に先に進め方の相談に行ったら、「周辺ボランティアにも根回しして合意とって、校長先生様にも根回しして合意をとってくれ」といわれ、プロジェクト化したのは自分であるもののそんな軽く重い仕事を指示するなよと腹が立って「やりたい人で勝手にやれや」と言いたかったけれど、最初の選出時に拍手してくれたお母さんたちや、運営委員会で援護射撃してくれたお母さんの顔が脳裏に浮かび、また「シンPTA~コンサルがPTAを解体してみた」という(または類似の)本を出して印税で回収しようと思ってるのでぐっと我慢する。帰り際に、「ノトさんの演説は前の校長だったらやばかった、ハハハ」(知るか)とか、「言い方がアレだったけど、校長も「一理あるよね」と言っていた」(一理どころか全理だろ)みたいなことをチクチク言われたけど、無償労働を放置してきたことを棚に上げきたやつが私に嫌味言う権利ないからな。順番が違うんだよ。

 こうして、怒りと、困惑と、興奮と、同情と、正義を胸に、民主主義の鐘緒を握るのであった。誰がために鐘は鳴る・・・我が手にて鐘は鳴る・・・はずである。

 - ベトナムをゆく

Translate »