ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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ノバティカルクロニクル 迷ったら 歩いてみよう ベネチア編(後編)

      2014/09/09

ノトの一日はホテルのフロントでダベるところから始まる。
初日、完膚なきまでに道に迷った話をフロントのおねえさんにしたら、親切にも2時8時問題で辿り着けなかったレストランに予約を取り直してくれた。「その店は知っている、ヴェネツィアの「おいしいレストランTOP50リストにのってた」とのことで張り切って予約してくれる。あとで感想を聞かせてくれ、とも。それが目的だな?

電話口でしゃべりまくるこのネイティブを前に、言語能力を脳にインストールできるアプリケーションがあればいいのにと空想を巡らす。

もはや慣れたもんで、現地住民のごとく颯爽とバスに乗り込み、ほとんど迷うことなく目的地へ。ベネチア市街地、こんなにわかりにくい住所表記で、Amazonの注文のお急ぎ便は有効なんだろうか?

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昨日あれだけ探して見つけられなかったレストラン。なんだこの神々しさは?ウェイターのマダムの絵に描いたようなわかりやすい笑顔。このあたりは観光地だからか、ウェイターの笑顔がキマっている。もれなく素の表情とのギャップもすごい。
前菜にご当地料理の南蛮酢漬け”Salde in saor”、副菜にイカスミのスパゲッティーニ、主菜にタラ”Baccala”のポレンタ添えを注文する。この3品は日本にいたときから、現地で食べてみたいものリストに入れていたものだ。さて最初の南蛮漬け、想像の域を超えない。南蛮酢漬けにレーズンと松の実を加えて、加える野菜をゆっくり炒めて甘くしたタマネギにして全部オイル漬けにすればほとんど同じ味になると思う。オリーブオイルに漬けているのかわからないくらいオイルから香りがしない。多分オリーブオイルじゃない、ひまわりオイルとかだろうか。下に敷いてある付け合わせの主張がなくて何の葉っぱかわからない。ホワイトアスパラガスになれなかったルッコラみたいだ。

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次、イカスミのスパゲッティーニ。これも想像の域を超えない。ご当地料理って、結局その土地でとれるものをつかった料理っていうだけで、それがおいしいかどうかは別問題かもしれないという至極当然の真実を認識し始める。

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最後、タラ。想像の域を超えない。ちょっと日陰で干したタラを、風味のない油でコンフィにしたみたいな感じ。付け合わせのポレンタも、とくに面白いものではない。原料が白とうもろこしだからだろうか。

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総じて味に主張がない。
せっかくなのでデザートもオーダー。種類は10種類以上あったがティラミスを。これも想像の域を超えない。というか正直、日本で食べる方がおいしい。ビスキュイ部分がざらざらしていて舌触りがよくない。香りの飛んだカリフォルニアのアーモンドパウダーを無駄に入れてしまったような舌触り。本来そういうものなのかもしれないけど、リストランテとしては改善してはどうかなぁ。

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ワインのカラフェも入れて50ユーロ。ランチ、ワイン込みのフルコース、7000円。いやー、高過ぎだなぁ。ベネチアで完璧な懐石食べるならまだしも、地元の料理を食べていることを考えると、高い。シェフの腕とか、材料の品質やこだわり、手の込んだ空間にお金を払うのはいとわないが、今回は半分は土地代だなぁと思う。

ベネチアで2回しか食べてないけれど、改めて思ったこと。東京で食べるある程度のイタリアンは、きっとかなり品質が高い。
材料をおいしくするための基礎のステップに誠実で、その上でアレンジしている。日本人向けにというより、料理としての完成度そのものを高めている。日本とイタリアじゃ同じ材料でも品質が全く違うことが多いので、下準備の段階で細かく調整を入れている。その下準備の厳密さは日本人のDNAレベルでまじめな民族性を以て維持されているような気がする。
それに加え、海で囲まれてなかなか人が移動しない狭い土地の中、激しい競争原理が働いて、品質はより磨かれていっているということなのか、最近の東京のレストランの品質のよさはすさまじい。

ところでこっちではイタリア料理以外のレストランはほとんどみかけない。イタリア人コックはイタリア料理しか作らないんだろうか?日本人はいろんな料理を作るけれど。なぜだろう??

翌日。Padovaへ移動の日。東京でお世話になっているDomenica D’oro岩本シェフと若かりし頃苦楽を共にしたコック、アルベルトと初対面の日。ベネチア滞在は現地での足慣らしにすぎない。ここからが本番。
指定の場所の確認。中心街からかなりあるぞ?行けるのかこれ?つくづく、一人旅をする人たちをすごいなと思う。超緊張。イタリア語、通じるだろうか?まだノトの脳内は英語→フランス語→イタリア語の順番で翻訳されていく。初期のWindowsばりに遅い。会話は全く成り立たない。
受付の女の子がフランス語とイタリア語と英語をパーフェクトに使い分けている。もう完敗。お腹イタイ。

なぜこんなにくしゃくしゃなのかわからないほどくしゃくしゃの地図を握りしめ、バスに乗る。今日の降車は終点ではない、途中下車だ。降りるところに注意しなければならない。バス応用編だ。ノトは本番に強いが応用に弱い。センター試験で満点近くとって二次試験で落ちるタイプ。(ただの事実)
バスがどこを走っているのか地図で追って行く。しかし、あたかもシナリオに組み込まれているかのように、それは日常へのちょっとしたスパイスであるかのように、不幸はのっそりとしかし確実に平静を侵す。バス内で20枚くらいの乗車券をスキャンしまくり残高確認しているおばあちゃんに気を取られる。おばあちゃん、無効のチケット捨てようよ。しまった、もうどこを走っているかわからない。
しかし捨てる神あれば拾う神あり。運は私を見捨てなかった。見覚えのある道で曲がる。あぁ今ここか、目的地を通り過ぎていない。早めに降りよう、バスも麻雀も勝っている時に降りるのが正解なのだ。目的地より2駅も前だったが致し方ない。本島への砂州を渡りきって本島に放り出されるよりずっといい。駅まで歩く。アスファルトが敷き詰められた落書きだらけのただの郊外。ここだってベネチアなんだよなぁ。
駅に着く。ランチ時だが、緊張と胃もたれでランチをスキップ。自発的にランチをスキップすることなんて生まれて初めてかもしれない。初一人旅、初Noランチ。
切符を買ってPadovaへの電車に乗る。ものの15分で着く。白人の巣窟みたいなところに降り立つ。しかも学園都市らしく若手ばかりだ。イタリアの筑波と呼びたい。
ここからまた電車を乗り継がなければならない。券売機でチケットの購入を試みる。カラオケのモニターみたいに簡単。カラオケなら任せろ。
電車にのると2駅目でルスツリゾートみたいなところに辿り着く。タクシーに乗って辿り着いたホテルは完全に避暑地のリゾート、パドバ版志摩観光ホテル。ノバティカル、にわかにバカンス色を帯び始める。

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部屋に荷物をおいてロビーでアルベルトを待ち構える。アルベルトとLineで連絡を取り合う。ショーはまもなく開演する。全く練習してない曲を明日コンクールで弾かなきゃいけないときの気分。念のために、イタリア語会話はほとんどできないことを伝えておく。と、そのとき。 ”Don’t worry English is ok!!” 世界よ、これよりも甘いささやきを私は知らない。この瞬間、世界は私のものだとすら思っていたことを赦してもらいたい。ホテルのロビーで、一人、ひっそりと深い安堵に浸る。祝の杯をあけよう。そこの蚊よ、腹が空いているのか、今日は良い日だ、望むままにわたしの血を分け与えよう。英語に乾杯。情けない?その言葉、今日ばかりは甘んじて受け入れよう。

“No I’m not Chinese.”
中学校教科書の一番最初に出てくるような初対面の場面、「チエミさんですか?」。チエミとチネーゼ(中国人)を聞き間違えてのこの珍回答。この回答に自分自身が一番動揺し、その後の会話で自分史上最高に噛んだのはアルベルトと出会いの語りぐさとなるだろう。
正面玄関から来るとふんでいたら後ろから話しかけられた。ここにたどり着くのでいっぱいいっぱいなノト、脳のCPUはイレギュラーパターンの洗い出しまで対応できない。リスクを回避していない、イレギュラーを想定していない・・・わたしのIBMの席はもうないかもしれない。

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 - イタリア旅行記, 料理

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