ノバティカルクロニクル 帰れトレントへ(後編①)
2014/09/09
中部イタリアは今度は自分の足で見に行こうと思ったが、ナポリはもうたくさんだ。ひたすらゴミ、ゴミ、ゴミ。電車を降りるとかすかにゴミの匂いがする。落書きで原型を留めていない電車、洗濯物が垂れ下がっているおんぼろのアパート、偽物のバッグ売りでひしめき合うガタガタの歩道、交通渋滞、縦横列駐車、80年代のボディコン服が破格で並ぶ路面店・・・。人も街もだらしなくて汚くて品がなくて秩序がない。歴史的建造物はいくつかあるが、それを修復するスタッフ達が物置に荷物を放り込むみたいに構内に機材を放置しているくらいだ。彼らには街を綺麗にしようという意識がないみたいだ。
ナポリに行く前、北部の育ちの良いイタリア人達からは、「ナポリはアフリカだ」と言い聞かされてきた。アフリカという形容が適切なのかわからないが、実際、とにかく野性的で、その日暮らし。
北イタリアと同じ国だとは全く思えない。駅周辺は特に、ミッションインポッシブルに出てくるマフィアの巣窟みたいな悪い空気が漂っている。メインストリートから一歩入るとスラム街みたいなところも多い。
料金表示のないところはかなりの確率でボラれる。昼に入ったカフェで、通常3ユーロくらいだろうと想定されるカフェとカンノーリに7ユーロふっかけられる。夜もザクロ1個に2ユーロ請求される。夜飲み過ぎてふらふら歩こうもんなら無事にホテルまで辿り着けない。町中でタクシーを捕まえたらそれはそれでボラれる。いくらピザが美味しくても、こんな警戒心をもって食べる料理は美味しくない。結局ノト的には、多少本物とは違っても、価格が何倍もしても、平和で便利な東京でナポリピザを食べる方がずっと美味しく感じる。空間だって料理なのだ。
トレントは今度はパオロのところではなく、ハムを作っているマッシモのところで住み込みで働かせてもらう。パオロもマッシモも割と裕福なのもあるとは思うが、見知らぬノトを家族のように住まわせて食べさせてくれる。どんな時も絶対にお金を払わせない。レシピも全部教えてくれる。見返りを(多分)全く求められていない。日本人も優しいと思うけれど、ここまで出来る人はいないんじゃないだろうか。多分ノト、彼らのおかげで人格が(より)いい方に変わったと思う。
マッシモはトレントで生ハムやサルシッチャ(ソーセージ)を作っている肉屋で、トレンティーノ州の肉加工食品のコンテストで優勝経験がある実力者だ。ガンベロロッソというイタリア版ミシュランが開催している全国うまいもの市みたいなマーケットにも商品を卸している。閑静なコレド村にドイツ製のコンピューターで全て管理された工場を構えて生産していて、レシピの肉の基本量は100kgだ。
築地で買って行った商売繁盛の前掛けをしポーズをとるマッシモ。馴染みすぎてます。
コレドに着いた翌日から早速ラボでモルタンデッラとサルシッチャというソーセージの一種の仕込みを教えてもらう。簡単な作業なのだがノト的にはスーパーマルチタスクになる。まず一緒に働いている少年ステファノがおとぎ話に出てくるような透き通る蒼い目とバラ色の唇で美少年すぎて見とれる。それだけならまだいいのだが、そこにマッシモがいちいち笑いをとりにくる。かけていた曲から流れた玄関ブザーの音を聞いて玄関に出向き「誰もいない・・・」と呟き、携帯の着信音(豚)を高らかに鳴り響かせている。それも終わってやっと集中できると思うと、世の男達が存命中一度は必ずやるように、サルシッチャを持ってつまらない下ネタを披露し、ステファノが赤面し、ノトが沈黙する。
ステファノとマッシモ。砲丸投げならぬモル投げの構えです。
そうこうしつつも、要所要所でマッシモが美味しいハムを作るためのポイントを色々教えてくれる。熟成用のミンチとフレッシュで食べる用のミンチを試食してみろと言って、豚の肩と腹と腰の肉のミンチを生でよこす。日本で豚肉を生で食べるのは危険とされているが、ここまできて食べない訳にいかない。レシピは聞いても豚肉は日本とイタリアでは確実に違うので、とにかく食べて覚えなきゃいけない。マッシモはパクパク食べている。ノトも続いて食べる。肉と塩とスパイスだけで作っていて、保存料やつなぎは一切入れていない。もっちりとしていて全く臭みがなくてほのかに甘い。肉質ももちろんだが同時に脂肪と赤身の配合も大事だそうで、配合を調整するために肩ロースとバラの割合を調整する。生で食べても美味しい肉にスパイスとスモークで香りをつけて熟成させる。オーストリアに隣接する地域なのでオーストリアとかドイツの影響を大きく受けていることは間違いないが、マッシモの作る加工肉は特にハーブとスモークに特徴がある。フェンネルとジュニパーベリーと八角は日本でほとんど使われないが、マッシモは結構これらを使っている。加工肉に使うと細かな脂肪分の脂にハーブの香りが溶けて、ジューシーな中に香りを感じるようになる。
日本で食べるソーセージやサラミは、しょっぱくて乾燥してて重く、保存食のイメージが強いかもしれないが、ここの加工肉は肉の旨味を引き出すためにわざわざ加工していると言った方が適切かもしれない。ものすごく新鮮な豚肉をひき肉にし、塩とハーブで味付けして成形した後、脱水してスモークして1日くらい軽く寝かせて翌日には食べたりする。サルシッチャフレスコ(生サルシッチャ)という品名で売られていて、煮込んだりグリルして食べる。とにかく脂がおいしい。ラードだけのハムも作っているくらい、脂だけで食べても美味しい。さくっとした歯ごたえのあと、するっと溶けて少し甘みが感じられる。全く重くないから不思議だ。生ビールとマッシモの加工肉で東京でビアガーデンやったら儲かるだろうなぁ。
サラミとラード。このラードに旨味が詰まっていて、これでキャベツマリネの煮込み(ザワークラウトの煮込みみたいなもの)を作るとすこぶるおいしい。
夕飯時になってアペリティフに近くのパティスリーに行く。こちらの人たちはいつもだいたいアペリティフを飲みに行く。スプマンテとかスプリッツのような軽めの一杯を飲むのだが、アペリティフ(イタリア語でアペリティーボ)の意味をよくわかっていなかった2ヶ月くらい前は、よく一緒に出てくるおつまみを食べ過ぎて前菜と副菜を食べた時点で満腹になっていたことがよくあった。ちなみに出された料理は残さない主義のノト、がんばってデザートまで間食するのでものすごいカロリーになるのだが、努力を伴う食事は大抵後でお腹を壊すのであまり太りはしない。(多分)
ここのパティスリーはそんなに高いレベルのケーキは出していないのだが(すいません)、何か得られるものがあるかもしれないのでとりあえずここのオーナーらしきおばさんにトレンティーノ特有のお菓子を知りたいんだと言ってみる。じゃあ明日厨房にくるかと言われる。ちょうどよくマッシモのところの仕事がない日だったのでもちろん行く。2ヶ月前のベネチアとは比べ物にならないくらい勇敢になった。もはや憂慮したり緊張したりすること自体が面倒になってしまった。ちなみに敢えて言及しておくと、こちらではあまり言葉が通じないことをいいことにいい子ぶっているので、シニョリーナ(お嬢さん)とかカリーナ(可愛いお嬢さん)とか呼ばれている。ここなら人生やり直せるかもしれない。(英語圏はもう無理)
さて、翌日早起きして一人パティスリーに乗り込んで行くと、パティシエ達が忙しそうにバースデーケーキをデコレーションしている。残念ながらクリエイティブな感じではなくルーチンワークに追われている感じのパティスリーだったので新たな発見はないのだが、朝から一人でパティスリーに乗り込んでいるノトを迎えに来たマッシモが、そんなにパティスリーが好きならと別のパティシエを紹介してくれる。翌日出向いた2件目のパティスリーはVal di soleという大きなスキー場のある村にあって、マッシモの分店の近くにある。パティシエはラテンな感じのおじさんで、女たらしだから気をつけろというマッシモの忠告通り、厨房にヌードのカレンダーが貼ってあって、パソコンのデスクトップもヌードで、話す時いちいち顔が近い。ありがたいことに結構色々基本的なことから教えてくれるのだが、作るケーキはどのケーキも結構な大味だ。彼のせいという訳ではなく、もともとイタリアンのドルチェがシンプルというのも大きいと思う。デザートはやはりフレンチが強いなぁ。イタリアでは今のところ、リコリスのジェラートと、あらかじめ火を入れたらしい卵黄を練り込んだ卵の風味がするクッキーが印象に残っている。ナポリで食べたスフォリアテッラというはまぐりみたいな形のパイも面白かった。フィロという薄紙のようなパイシートを少しずつスライドさせたような仕上がりで、食感がとてもいい。出来損ないのカスタードクリームみたいなフィリングがいただけなかったのだが、パイ生地はとても面白いのでチェリーのコンポートみたいな軽さのあるフィリングを詰めてみたら美味しいだろうか。
マッシモがウェルカムパーティーも兼ねて、トレントにあるホテルでディナーをごちそうしてくれる。
マッシモの友人が5人くらいやってくる。チエミという名前の発音が難しいらしく、キミやらキエマやら好き勝手に呼んでくる。ノトの名前も難しいが向こうの名前もある意味難しくて覚えられない。6人中同じ名前が3人もいる。キリスト教の聖者の名前をつけるので名前がものすごくかぶるのだ。そういえばイタリアにもキラキラネームってあるんだろうか。ちなみにノトの「ニコフ」ストーリー(北部から来たロシア人のようにデカい人)はなぜかイタリア人に大ウケする。何がそんなに面白いんだろうか。
ディナーが始まる。テーブルパンとして出て来るパンがものすごく美味しい。テーブルロールのようなロールパンなのだが、生地がよく水分を含んでもちもちしていて、粉は少しだけライ麦粉を使っているので粉の風味がある。そして表面がプレッツェル風味で、胡麻も振りかけてあるのでとても香ばしい。トレント以外では見た事がないので、やはりドイツとかオーストリアの影響を受けている地方特有のパンなのだろうか。こういう香りの強いパンは、牛肉の煮込みとか、サルシッチャとか、強い風味の料理とよく合うだろうなぁ。
ディナーはフルコースでポレンタ粉を使ったニョッキやそば粉を使ったケーキなど郷土料理をアレンジしたもので目新しくて美味しかったのだが、度重なる過食で完全に胃を傷めたノト、半分くらい残す。こちらの人たちの胃の強さは半端ない。昼にソーセージ盛り合わせを食べて夜に天ぷらを食べても平気なのだ。
マッシモのプロの技術を少しでも多く吸収するため、ここには思ったより長くいるかもしれない。既に体中からハム用のスモークの匂いがするので、成田の入国審査で肉加工食品持ち込みチェックの検査犬に噛み付かれるかもしれない。脱臭のために12月になっても職場復帰できなかったらごめんなさい。
つづく