ノトニクル

ノトがパスポートとクレジットカードを持って世界のどこかをうろつきます。

*

現地採用について考える

      2016/07/22

ホーチミンに来て早○ヶ月・・・と始めたいところだが実は私は4月いっぱいで約半年(たった半年!)勤めたホーチミンのベンチャーを辞めて古巣(コンサル)に戻ることにしたので今は東京とホーチミンを行き来している。ベンチャーには2年はいるつもりだったのだが結局半年で出てしまうことになった。もともと熱しやすく冷めやすい性格ではあるものの、このベンチャーの経験は人生で選び取った選択肢の中でも群を抜いて手放すのが早かった。殆どスピード離婚に例えられそうな状況なので、離婚した人が「離婚しました!」とFacebookに書かないように、私も「退職しました!」とアナウンスしませんでした、けれど今更ですが退職しました。

たった半年だったが、本当にいろんな現実がありありと見えた。商売ってどういうことなのか、事業を継続させるために大事なことは何か、経営者と社員の間にどういう意識の差があるのか、等々。思っていたより簡単だったこと、思っていたより難しかったこと、それぞれある。でも突き詰めると、ビジネスを自分で始めるっていうのは全然難しいことじゃなくて(起業家なんてカネ払って登記すりゃみんな起業家だ)、それを継続させるための商品と人をハイレベルにキープするのが難しい。

辞めた理由は3つに絞られる。カネ、人、あとは「起業」という宗教から目が覚めたこと。3つめは別記事に書くかもしれません。 同じくらいの年数しか生きていない同期に話しても、「あたりまえじゃん、ちょっと考えればわかるじゃん」で返されることが多くて今更感というか私だけが無知だった感が今すごくするのだが、多分私のように無知な若手はたくさんいると思うし、その無知に付け込んでビジネスやってる狡猾な人もいるので、ちょっと今回はただの“悪い宗教に騙された人”的な羞恥心を抱きつつも、華やか(そう)な舞台の舞台裏を書いていこうと思う。

大きな志を持ってビジネスを立ち上げる人たちに水を差す気はない。海外就職やベンチャーとひとくくりにするのも適切ではないと思うが、世の中が海外就職・ベンチャーをどう見ていて、そこにに飛び込んだ人たちは(私も含め)何を思い、見つけて、去っていったのかを知ってもらいたい。どんなインターネットの掲示板を見ても、「とりあえず大手に行け、ベンチャーはやめとけ」で片づけられる世界は、どういう問題を孕んでいるのか。ベンチャーの世界は独特な熱気と宗教性に満ちており、だからこそ若者を魅了してやまないのであるが、一方で企業として解決すべき倫理的・道義的課題を多く内包しているという事実を、ベンチャーを立ち上げる側にも、ベンチャーに参画する側にも、とりあえず海外と思っている若者にも真摯に向き合ってもらいたい。

今はそういう失敗談の情報が少なすぎる。

沈黙は金なり・・・と思うんですが、問題を明らかにして解決すべき、という気持ちを込めてディスります。

 

「現地基準」に甘える給与基準

以前別の記事で、私がベトナムで何を失って何を得たかという内容の記事を書いた。その中で、失ったものとして「高給」を挙げた。この記事を書いたときは、貯金が貯まらないというくらいの問題として“給料が少ない”と書いていただけれど、この記事を書いた直後に実はちょっと(自分としては)深刻な病気にかかって、タイミングよく旧正月の連休で日本に一時帰国し治療に専念して復活したという個人的には結構ショッキングな事件があった。空港で38℃の熱が出て、解熱剤を飲んでいたので日本の空港の熱探知機で引っかからなかったものの、以降も熱は引かず病院に行った。結果特効薬でケロリと治ったのだが。

その時の手記がその時の自分の感情を伝えられると思うので、ちょっと紹介したいと思う。

待ちに待った一時帰国。帰りの飛行機の搭乗数時間前からひどい胃痛がし熱が出始める。タクシーに乗れるだろうかというくらいの痛みだ。胃薬を飲んで横になって痛みを抑える。

成田に着き羽田に直行し、ANAに交渉してフライトを繰り上げてもらい即帰省。この時胃痛はなくなっていたものの、熱は38度を超えていた。ひどい寒気がする。地元の空港に着くが親が迎えに来るまで待ちきれずタクシーで帰宅する。インフルエンザかと思いとりあえず寝る。インフルエンザ検査を受けるが陰性。原因不明のまま丸二日、38℃以上の熱を出し続ける。二日続けて丸一日寝続けるが、一向に良くならないので病院に行くことにする。家の近くの病院に行くが完全予約制の上満員で受診できなかった。しょうがないので別の病院に向かう。1件断られただけだったがものすごい不安に襲われる。次の病院は10分くらい歩いたところにあるが行きつけの病院で院長とは顔見知りなので受診できないことはまずない。そうわかっていても、ただでさえ初めて経験する疾患に既に戸惑っていることもありかなり動揺しており、大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせる。通い慣れた道を歩きながら、もしここがホーチミンだったら、私はどんなに孤独で不安だっただろうと思う。次の病院は案の定空いていて、診察室に呼ばれ、薬をもらって即終了。この薬がまたよく効き、嘘のように熱が引く。

ホーチミン出国が2日遅かったら・・・私は一人で病院に行って診察を受けられただろうか? 

自分は30代の日本人女性にしては結構独立心が強く一人で行動することに慣れているほうだと思うのだけれども、ちょっとした病気になっただけでこんなにも心が弱るものなのかと思った。これがもっと重い病気だったら、旧正月前で飛行機が込み合ってエコノミークラスがなかったとしても、ビジネスクラスに大金を払ってそれで帰って来てたんじゃないだろうか?結局金さえ払えば逃げ場がある。この事実が強力な心の支えになって今ホーチミンでリスクを冒せるんだなと気付く。そして、ホーチミンに帰る場所がなくなっても日本で復職できるという確信。つまり、現実的で条件の良いプランBがあるという事実からくる心の余裕が、たった数百ドルの給料でも生きていけるという勘違いを引き起こしている。

ここに来る前も、ここに来た直後も、ホーチミンの平均月収は300ドルだし実際このくらいの金で生活できるんじゃないかと思っていた。現に生活はできる。普通に生活する上で物価も安いし特に何も困らない。しかし、この電波少年生活は、十分すぎる程健康な身体と精神を以って初めて可能なのであり、それが少しでも脅かされるとあっという間に“日本でリカバリ”というバックアッププランが発動される。

自分のことだけだったら貯金もあるし生命保険にも入っているしなんとかなるだろう。でも家族を持ったら?子供ができたら?子供がアメリカ留学したいと言ったら?旦那さんが手術に何百万もかかるような病気や怪我をしたら??

生活レベルを落として生活するというのは、必ずしも贅沢することではなくて、教育や仕事の選択肢を狭め、資本たる身体を支える医療の選択の幅を狭め、時として命を縮めるということだ。高い車を買ったり美味しいものを食べられないのとはわけが違う。若いうちは、心身健康だし家族を持ったりする実感がないから気付かないと思う。気付かないからこそ無謀な挑戦が出来るのだと思うけれども。以前母親が、あんたが貧乏生活をしたところでそれは所詮道楽だと言っていたことがある。あのときはよく理解できなかったが今は本当にそうだと思う。毎日10万ドン(500円)を節約したところで、それはある意味“エコ“を気取っているお気楽なパフォーマンスだけでしかない。

この病気を機に、ベトナムにおける日本人の平均的な月給1,500USDとか多くて2,000USDという給与を提示してくる日本人経営者に疑惑の念を抱くようになった。たしかにホーチミンのベトナム人の平均給与300USDから考えれば1,500USDは5倍だし割ともらっているほうなのかもしれないが、1,500USDでは日本人としての最低水準の健康さえ守るのは難しい。ベトナム人向けのローカルの病院に行っても外国人料金を適用されて1回の診察で80USDほどとられるのがオチだし、じゃあ日本に帰って治療しようとしても直行便に乗っただけで赤字である。

ホーチミンに限らず、現地採用の給料は日本採用の給料よりずっと低いことが多い。その理由として「物価が安いため」とあるのだが、パフォーマンスに関しては日本基準で評価されるのに報酬に関しては現地物価基準というのは理解に苦しむ。日本人に日本の給料払うと収支が合わないというのが会社側の都合なのだが、被雇用側から言えばそんなの雇用側の都合である。労働力だとピンと来ないかもしれないけれど、たとえば日本の車がベトナムで販売されるときに1/2とか1/3の価格にならないですよね、労働力だって同じだと思うのです。

日本では昨今「グローバル人材」という言葉がキャリアのキーワードになって、いかにグローバル人材を育てるか、そもそもグローバル人材って何かという議論が巷をにぎわせているが、一方で当の国外のロケーションにおいてはある意味グローバル人材としてのポテンシャルは高いであろう人材はないがしろにされている。日本にいると海外に出るチャンスになかなかありつけず、自力で海外就職を探している海外志向の人の真っ当な雇い口というのは驚くほど少ない。「グローバルで活躍したい人」「海外でチャレンジしたい」なんていう謳い文句を求人広告で頻繁に見かけるが、そんなのはキャッチーな釣りの餌で、採用側にとってみれば全く力を入れるつもりのない謳い文句である。その証拠として、「グローバル人材」になるためのちゃんとした研修を採用者向けにやっている海外の事業所などまずない。もっと端的に言えば、海外で働いてみたいというもあいまいな夢にめくらになっていることに漬け込んで、永久にアルバイト身分で”生きるのには十分”な給料で働かせる。そして風向きが悪くなると、つまり被採用側が目を覚まし始めると、「自己責任」で片づける。個人的には、こういった会社は会社によっては消費者金融よりタチが悪いと思う。

(ただ私自身は「海外でチャレンジしたい」って言葉自体も言葉遊びみたいなもんで、目的をともなわない単なる海外旅行の延長みたいに聞こえる。つまり買い手側にもそれなりに問題は内包されてると思う、売り手側だけじゃなく。)

 

企業倫理的に真っ当であるために、win-winになるために。

資本金や売上から考えれば日本基準で給料を払うのは無理な話ではある。日本人一人に日本並みの給料を払っただけで売り上げが吹っ飛ぶのは事実だ。しかしここで私が言いたいのは「日本人を、日本人スタンダードを担保してあげながら雇うためには、現地基準の給料は絶対的に不十分だ」ということであり、売り上げ比に対するコスト云々とは論点が異なる。つまり、“日本人”として彼らの尊厳を守りきれないなら、つまり会社として日本人スタッフを母国に緊急帰国させてあげるだけの余裕を持たせたり、日本で生きてきた彼らにそれなりの生活水準を維持させ彼らのQOLを守ることが会社としてできないなら、日本人を採用するべきではないということだ。

そして、上記のような企業倫理的な視点もさることながら、中長期的に見て採用側被採用側どちらも不幸な運命を辿らないように、という視点で日本人を中途半端な覚悟で採用すべきではない。人材を会社で守るという意識なしに日本人なんか雇っても、短期的にひっかかる日本人はいても彼らは絶対に長期的に貢献はしてくれない。なぜなら日本人社員は遅かれ早かれ会社が自分を保護する気がないということに気付き始め、日本社会で当然受けられるはずであった恩恵と比較し始めるからだ。そしてでは辞めますとなったときに後に残るものは、あまり会社のためにならなかった短期的な貢献と、人材流出による会社側の痛手である。任せようとしていた役割分担が白紙に戻る、それに伴う収益計画が変わるので収支計画も再調整が必要になり、知能と労働力が一気に抜けるので物事を動かすマンパワーが不足し事業運営が停滞する。その社員を採用した時の労力も無駄になるしスキルトランスファーの工数も無駄になるし、新しい社員の採用労力も発生する。オペレーションが完全に戻るのに何か月もかかり、それはつまりその間次の事業展開を進めるような会社の動きを停滞させる。かつ、会社の印象と言うのは口コミとなって後々会社の評判として付きまとって採用の障害になる。特に駆け出しの中小には大きな痛手になる。

こういう会社に何が欠けているかと言うと、長期的な視点だ。コストを工数だけで計算し、現地採用スタッフが長期的に継続勤務してくれることでもたらされるすメリットを認識できないような会社に、長く貢献してくれる頭のいい人材はまず現れない。そのあたりは恋愛と同じだと思う。女なら誰でも同じと彼女をとっかえひっかえ変えているような状態の男に、一生自分のことを守ってくれるような女性はまず現れないですよね。現れて一瞬付き合ってもすぐ愛想つかれちゃうとかね。

給料というのは雇用側が被雇用者に対して表現できる唯一の感謝の記だ。会社に長く貢献してくれる人材を集めたいなら、彼ら・彼女らの標準的な生活水準を守る最低限の給与は支払うべきだ。それができないなら現地採用で日本人採用などやらないほうがよくて、覚悟決めてローカルスタッフだけで回したほうがいい。

おまえそんな偉そうなこと言ってじゃあ自分でやってみろと言われかねないんですが、遅かれ早かれそうなるのでそしたらまたなんらかの反省文を書こうと思います。

 - ベトナムをゆく, 働くことについての考察