ベトナム人と結婚してみた ②家族に挨拶編
2017/08/30
私の旦那さんはダクノン省という地域の出身で、ダクノン省はホーチミンから北上したところにある地域である。漢字で書くと「得農」で、“農”という字がすべてを物語る農村地帯である。ただ日本人が想像しがちな水田に水牛とアオザイ娘の農村ではなくて、山の上でコーヒーとか胡椒とかたばこの葉を作っているベトナムらしさの欠片もない農村である。上隣の県は有名なダクラク省で、この省にあるバンメトートという都市はみなさん聞いたことあるかもしれない。ベトナムでは結構名のある観光地である。なのにダクノン省は2003年にダクラク省から切り離されて自治体になったそうだ。とんだはずれくじである。(たぶん)それ以降ダクノンはいつもダクラクの陰ひなたに咲く、というか埋もれている。
この赤いところ
ダクノンの国道
ダクノン省は600~700mの高地に位置するので夏でも夜はかなり冷え込む。雨なんか降った日には夏でも夜は20℃近くまで下がる。10月以降は乾季でますます気温が下がるので、この辺りはダウンジャケットを着こむほど寒くなる。しかし一応熱帯地方に属するだけあって、夏の暑いときは40℃近くなり、この地方全体の土も熱帯地方特有の超赤土である。アボガド、バナナ、マンゴスチンなどのトロピカルフルーツもたくさん実る。特にこの地域のアボガドは名産で、アボガドシーズンの7月あたりに全国に出回る。(有名な隣のダクラク産として)
このダクノン省の中の、なんの特徴もない、片田舎としか形容しようのない正真正銘の片田舎に旦那さんの両親は住んでいる。ホーチミン市から直通のバスがあるのでそれで行く。半寝台タイプの寝台バスで、無駄にネオンが煌びやかなドキュン系バスである。片道一人17万ドン(900円くらい)で、途中休憩分を抜いても7時間くらいかかる。近郊のダラット市まで飛行機で飛んでバスに乗り継いでも行けるが、待ち時間を考えると結局半日はかかる。つまりどんな手段を使っても遠い辺境の地ダクノンである。
バスはホーチミン市を出発すると道中2時間置きくらいに休憩をとりつつ、ダクノンの旦那さんの地元に到着する。バスを降りるとちょうど夕飯食材の買い出し時間で道の左右にマーケットが並んでいるのが見える。小さな村なので皆顔見知りらしく、旦那さんはいちいち皆に声をかけながら実家に向かう。皆みんな嬉しそうに手を振って、その後後ろにたたずむ私を見てハトが豆鉄砲くらったみたいな顔をする。片田舎に来たところでここもベトナムだから自分の外見がそんなに違和感あるとは思っていなかったのだが、後で旦那さんに聞いたら皆が驚いていたのはそれよりも「白くてでかい」ということだったらしい。日本もそうだが南部の片田舎に行けばいくほど平均身長は低い。なるほど、進撃の(と)巨人である。
市場を過ぎ、旦那さんの家まで500mほど歩き続ける。舗装なんかされていない真っ赤な赤土の小道が続く。市場から少し離れると家もまばらで、人の気配は全然なく、道中バイクとすれ違うこともない。時たまどこかの飼い犬がワンワンと吠えながらついてくる。頭上には野生のアボガドの木やジャックフルーツやドリアンの枝が重い実をぶら下げてしなっている。ドリアンが頭上に落ちて死んだベトナム人はいないのかと旦那さんに聞くが知らないという。知らないじゃなくて調べてほしいんだけど。ほどなくして旦那さんの実家に着く。ホーチミン市のローカルの家だって相当劣悪な作りなのでいわんや田舎をやと期待はしていなかったが、実家はレンガを積み上げてトタン屋根を乗せただけの家。家というかむしろ立派な掘っ立て小屋である。DIYといえば聞こえはいいが手作りかもしれない。
道中の赤い小道
どんな出迎え方をされるか若干緊張していたのだが、長男の許嫁が来るというのに家には誰もいない。どうせまた段取りの悪い旦那さんがちゃんと連絡していなかったに違いない。荷物を置いて休んでいると遠目に誰かの残像が視界の端をかすむ。そのおじさんは遠くから私の旦那さんだけに「よう」みたいに声をかけたので、私はその人が近所のおじさんかなんかだろうと思った。長男の許嫁で外国人だし、旦那さんの家族は非常に堅苦しくよそよそしい出迎えを受けるだろうという想定でいたので、旦那さんがそのおじさんとひとしきり話した後に「あ、これが僕の父だよ」と私に紹介してきた時には、想定外の事態にかなり動揺し、「チ、チャオ」(や、やあ)と最高に礼節に欠いたな挨拶をぶちかまし、もれなく第一印象は最悪である。ほとんど目を合わせない父ちゃんは私をとても警戒しているのが明らかで、全て旦那さんのほうに話しかけるなど、違和感どころか失礼とすら感じるほどの明確な距離を保っていた。そしてその直後母ちゃんが帰ってきたのだが、母ちゃんは父ちゃん以上に私を警戒しており、挨拶もままならないほどだった。その後旦那さんの姉ちゃんの部屋に通されたのだが、遠目から様子を見たり何か持ってくるふりをして部屋に入ってきたりして、私と接点を持ちたい気持ちがないわけではないが、おそらく初めて接する外国人の対処に困惑しきっているようだった。
ところでベトナム人と日本人の結婚についてネットで検索すると、「金持ちの日本人は相手のベトナム人一族にたかられる」「金持ちの日本人は大歓迎」「西洋の家に住み、中華料理を食べ、日本人の女性を嫁に迎えるのがベトナム人男性の理想」みたいなことが書かれているので、少なからず(金づるとしての)歓迎の扱いを受けるのかと期待していた。しかし実際は真逆で、「ベトナムの文化や言葉を全く知らない外国人は長男の嫁に迎えたくない」、「大事な長男を色仕掛けで連れ去ろうとしている、得体の知れない外国人」という想いがあるようで、意外なほどの拒絶反応を示していた。加えて、都心部でも25歳未満、田舎だともっと若いうちに結婚して子供をもうけるベトナムでは、”25過ぎたら行遅れ、30過ぎたら独身ばばあ”みたいなイメージがあるらしく、両親も多分に漏れず息子にはアラサーの外人ではなく若いベトナム人の女の子を嫁にしてもらいたいと思っているらしかった。はっきりそう言葉にしたわけではないが、交際後1年近く、特に母ちゃんの言動にそういう願望がありありと表れていた。しょっちゅう旦那さんに電話してきては、直接的に結婚を考え直せとは言わないものの、心配だ、ベトナム人同士でも分かり合えないのに国際結婚なんて絶対うまくいかない、お互い不幸になると説教し続けていた。それが徐々におさまったのは、私が日本からベトナムで働くことを前提に日本からベトナムに戻ってきて、本気だという姿勢が(やっと)伝わった辺りだったと思う。
さて、両親からは全く歓迎されなかったものの、実害(?)のない親戚は面白半分大歓迎である。特に小学生から大学くらいの親戚の女の子たちは新しい姉が出来たようなはしゃぎっぷりで、私の腕をとり自分の腕を絡ませながら、私の腕の肌を大事そうに撫でる。ベトナム人女性にとって痩せ型・高身長・白い肌というのが美人の3大条件なんだそうで(私は痩せてないけど)、かつカワイイ系より美人系のほうが断然好まれる。そういうわけで、白く、でかく、実親をしてタイのニューハーフとの異名をとっていた私にとって、ベトナムコミュニティーへの参入障壁は外見という点では思いのほか高くなかった。
親戚の女の子達は大はしゃぎしながら、あちこちから色々な果物を持ってきて私に食べさせようとする。いちじくみたいな形のローズアップルを食べ、サトウキビを刈って皮を剥きガリガリ噛む。果物を食べながら、それぞれの女の子達の家に挨拶にまわり、そこでまた山盛りのフルーツを勧められる。旦那さんは一軒一軒でアルコール度数40°近いベトナム焼酎を勧められ、その度に小さな小瓶をあおる。ところでどの家に行っても男たちは酒を飲んで酔っ払っている。しかもさっき別の場所で飲んでたおじさんが今度はこっちでも飲んでいる。今が収穫期でないだけと信じたい。
一通り挨拶にまわると、今度は旦那さんの友人のパッションフルーツ畑に行こうということになる。これといったエンタメはないが食べ物だけはたくさんある。人のよさそうなおっとりした友人君が快く畑を案内してくれる。パッションフルーツはブドウ棚のように木の枝を屋根状にし、屋根の下に潜り込んで実を収穫する。しかしこのパッションフルーツ棚、170cmくらいの高さにあるので、みんな走り回るが私は中腰、背中を伸ばすと木が頭に当たる。ずっと中腰なので腰やら首やらが痛くてフルーツ狩りどころではなく、木の枝の間に空洞を見つて休憩しようとする。無事空洞を見つけそこから頭を出すのだが、今度は蜘蛛の巣が顔に貼りつく。蜘蛛の巣をはらうとその後は強烈な太陽がジリジリ顔を焼く。パッションフルーツを放り出してここではないどこかに行きたい。30分ほど各々がパッションフルーツを集めた後(私は待ち)、この畑の親切なオーナーは、親戚にもどうぞと倉庫に置いてあった収穫済みのパッションフルーツ在庫を無料で倍ほどくれる。次来るときはこの倉庫に直行しよう。
へとへとになって家に帰り、横になってこのアウェイ戦を明日までどのようにやり過ごすか考えていると、旦那さんの姉ちゃんがやってきて、胡椒の木を見てみたいかと聞いてくる。全然見たくない。全然見たくないが聞くにはなにか理由があるのだろうととりあえずついて行くと、胡椒はこうやって収穫するんだとおもむろにデモンストレーションをしてくれる。近くでは旦那さんも父ちゃんが胡椒摘みをしている。姉ちゃんは暗に、お前もごろごろしていないで働けと言っているのだろうか。今更一人部屋に戻れないので皆に混ざって胡椒を摘む。成木は3m近いので梯子なしでは木の裾あたりをうろうろすることくらいしかできないのだが、初めての共同作業で旦那さん家族との距離が次第に縮まり、父ちゃんの中でいい嫁ポイントが1P貯まる。胡椒摘み後、アボガドの木の下にゴザを敷いて頭上ののアボガドをとって砂糖かけて食べる。日本だとわさび醤油で食べるが、ベトナムでは果物として食べる。木の上で熟したアボガドは青臭みが全くなく、スプーンですぐ崩れてクリーム状になる。お好みで砂糖やコンデンスミルクをまぜて甘くして食べる。父ちゃんが将来この土地を長男(私の旦那さん)に譲るつもりだから長男の妻にはこの土地の管理をしてもらいたいんだ、という初対面にしては比較的重い話をしている。仮にそうなったら私は人を雇うぞと考える。
胡椒の木
夕飯は一応息子の許嫁の歓迎会ということで、近所の人たちも呼んで宴会ということになる。母ちゃんは庭を走り回っている鶏を一尾さばいて、庭でキャンプファイヤーのような火を起こして丸焼きにする。どこからかイノシシのバラ肉を入手してそれもグリルし(すごくおいしい)、米を炊いて、鶏の骨でスープを作り、肉と葉野菜をライスペーパーに巻いてレモンとヌクマムのたれをつけて食べる。男性陣は灯油タンクのような入れ物に入ったベトナム焼酎をあおり、深夜までずっとおしゃべりして騒いでいる。女性陣は片付けしつつ、勝手にテレビを見たり、子供同士を遊ばせたり、各々自由に帰ったりする。私は誰にも気を使われず、私も気を使わず気配を消して勝手に就寝。泥のように眠る。
翌日はもうホーチミンに戻る日だった。皆で朝近くのカフェに行き、特産の甘苦く濃厚なコーヒーを飲み、バンミーを食べる。家に戻り荷造りしていると、父ちゃん母ちゃんは庭でとって乾燥させた胡椒を2kgお土産に持たせてくれた。2kgの胡椒は彼らにとって結構な価値があるはずで、外国人の対処方法がわからないなりにも近寄って接点を持とうとしてくれているようだった。また、これを機に旦那さんの両親は少しずつ私に関心を持つようになり、また旦那さんから私の情報を得ることで次第に心理的なハードルが下がっていたらしく、国際結婚で失敗することを心配しつつも、随所で私のベトナム生活を気遣い、なんとか力になろうとしてくれるようになった。私も両親がホーチミン市に来たときはちょくちょく顔を見せるようにし、言葉も勉強し、旦那実家に来るときはいいシャンプーとふわふわのタオルと高級化粧水と鼻セレブをたんまり持ち込んで部分的にいつも以上の贅沢をしうまいこと心理的負担を回避するように工夫しつつ、彼らのコミュニティーに少しずつ自分を合わせ、言葉を覚え、料理を覚え、溶け込んでいっている。