ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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ノバティカルクロニクル パドバケーション編 バラード

      2014/09/09

和食パーティーから2週間以上和食にありついてないノト、最近はことあるごとに、次の和食パーティーではどさくさにまぎれて卵掛けご飯を食べてやろうということと、もし仮に海外に長期滞在することになったら日本から納豆菌を持ち込んでやろうということを真剣に考えている。実は雑巾への復活を遂げた後も、破滅と再生を二セット繰り返していた。病気から回復する時に体力を使うのと同様に、破滅と再生も相当の体力を使う。そういうわけで、食べるか寝ているかで構成される一日を何日間か過ごす。誰にも頼まれてはないクロニクルではあるが執筆をさぼっていたとは言わせない。

そもそもなぜ二度の再生を強いられたかというと、ひとつは北部名物のチーズのラビオリの食べ過ぎ、もう一つはホームパーティーでのピザの食べ過ぎによる。120kgのキッコが「よく食べるね」と言うくらいノトはよく食べる。しかし、ノトの胃、塩にめっぽう弱い。北部の食べ物はもれなくしょっぱく、量を食べると自ずと塩の摂取量も高まる。ベネチアの塩害から胃の調子が悪くノト父お手製胃腸薬を投薬していたものの、完治はしていなかったのだ。(※父の愛情が足りないとかそういうことを言っているわけではない)
食べ過ぎで胃を傷めたものの、ラビオリとピザはキラッと輝くおいしさがあった。
まずラビオリ。これはピエモンテ州(トリノがあるところ、フランスと隣接)のカステルマーニョというチーズが入っているラビオリだ。このチーズはリコッタみたいなほろっとした口溶けだがリコッタよりミルキーな味わいがするフレッシュタイプのチーズだ。そこに少しだけ細かく砕いたヘーゼルナッツが混ぜられていて、濃厚なチーズにヘーゼルナッツの香りとカリッとした食感が加わる。QBBアーモンドベビーチーズイタリア版プレミアムエディションみたいな感じだろうか。このヘーゼルナッツチーズを小さめの餃子の皮くらいのパスタ生地に包んでラビオリにする。(余談だが餃子はフランス語で「中華風ラビオリ」と言うのだ。)さっと茹でて、ここからがすごいのだが、大量のバターで温めながら和える。”バターで作るバターソース”と呼べるくらいバターを使う。大さじとかで形容できるレベルではなく、100g以上あるであろうバターブロックを一人前に使う。味わいは、バターを味わう料理なんじゃないかと思うくらいやはり押し寄せるバター臭だ。日本人には2個くらいが限度かもしれないが、多分ノトは8個くらい食べた。想像に難くないだろうが重い。どのくらいの重さかというと、ドミノピザのクアトロフロマッジのMサイズに溶かしバターをたっぷりコップ半量分塗りたくったくらいの重さだと思う。日本人にはつらい量なのだが、こちらの人はこのくらいの量は女性でも割と普通に食べる。ただ常食はしないのかみんな割と結構細い。IMG_0092そしてホームパーティーのピザ。レストランのシェフ、リカルドの実家でリカルドの両親がご馳走してくれる。ノト、今ではバスにも乗れるし人んちの実家にも乗り込んで行くのだ。
ピザは4種類。ノト的にはキノコミックスポルチーニ入りがダントツおいしい。
念願のフレッシュポルチーニにこの日ようやくありついたのだが、味を想像しすぎたせいか、なんだか知っている味でむしろ懐かしさすら感じる。日本でこのピザを作る際、同じきのこは入手できないだろうが、グリュイエールチーズと、刻んだアンチョビといっしょに軽く炒めた椎茸・本しめじ・マッシュルームあたりで作ってもおいしいと思う。トリュフバターを最後にちょっと入れたらもっと香りが立つかもしれない。細かく刻んだケッパーを散らしてもいい。
フレッシュポルチーニを使わなければ完全に日本のスーパーで調達できるレベルの素材だが、こういうシンプルな料理でもイタリアで食べておいしいなぁと思うのは、もちろん素材の味の違いそのものもあるが、各素材に対して適切な調理方法が用いられていることも大きいと思う。たとえばキノコは水分が出ないくらいに軽く炒め塩こしょうで味付けし、もう少し火を入れればそれだけ食べても美味しくなるように調整してからピザの具にしている。キノコなんて薄切りにしてオーブンで10分も焼けば火が通ることに違いはないのだが、香りも水分も飛んで不味くなる。適切な調理方法で作ってあげないだけで、同じキノコも活きたり死んだりする。色んな服が似合う子には色んな服を着せてげたいように、色々な調理方法が映える素材は、色々な形で美味しくしてあげたい。IMG_0021さてノト、ラビオリもピザも十二分に楽しんだのだが、これらの食べ過ぎで胃を壊し、イタリアにて胃に優しい食べ物を探し求める過程でイタリア料理についての考察を巡らす。
ここ北イタリアのパドバ周辺は食事のバリエーションが少ない。しかしそれを憂慮するわけではなく、進んでいつも同じ食事をとる。パドバは人口20万人近い都市だが、都心では中国系移民がやっている中華料理店か、中国系移民がやっている日本食レストランか、中東系移民がやっているケバブくらいしかレストランのバリエーションはない。その他大多数を占めるカフェやレストランは、どこも同じような食材を使って同じようなテーブルセッティングで同じような食事を出す。いつもオリーブオイルでいつもパスタでいつもドミノピザでいつもエスプレッソだ。同じ魚、同じ肉を同じ調理法で食べている。しかし、毎日同じものを食べていることで素材も調理も磨かれていくかというと大方の場合においてそういう向上の形跡は見受けられない。いつも同じように平均的で同じように無難なのだ。5段階評価で常に3みたいな感じだ。街の規模や特徴もあるだろうが、競争とか向上心というものをあまり感じない。日本だと、家庭レベルでも今日は和食にしようとか、洋食にしようとか、和洋折衷を試してみようとかいろいろ試行錯誤があるが、ここでは本当に毎日毎日同じような料理を食べているのだ。日本で、いつもそばかうどんを食べているような感じだろうか。日本人のような、「昨日和食食べたから今日は洋食にしよう」という感覚がなさそうだ。

日本のようなバリエーションが存在しないのは素材や調理方法に関する情報や経験に恵まれないというより、一部の料理人を除いて、そういったバリエーションにそもそもあまり興味がなさそうなところに起因するようだ。そして実はその性向が結局は「イタリア料理」そのものの特性につながっているのではないかと思う。
イタリア料理は各地域の地方料理の総体を指す。ベネチア料理、フィレンツェ料理、ナポリ料理等々、偶然イタリア連邦に地理的に所属している地方の料理をまとめてイタリア料理と呼んでいるだけで、これこそが「イタリア料理」というものは存在しないといっても過言ではない。各料理は大抵その土地の素材を使って、その土地で実現できる調理法で調理する。基本的にがんばらない(ように見える)。
そんな中でもイタリア料理が美味しいと認識され日本で「イタめし」として不動の地位を確保しているのは、数千はあるであろう地方料理のうち、多数の人が食べておいしいと思う料理が料理人や食業界関係者によって選別され伝導されているからだと思う。つまりイタリア料理だからと言って手放しに美味しいとは限らない。美味しいものを提供するのが料理人の使命だとは言えども、私たちが日本で食べているイタリア料理は彼らによって淘汰され丁寧に磨かれたものだと言えると思う。現地の料理そのものを提供することをよしとする徴候は日本に確実にあるが、実際そういう料理が生き残れる確率は高くはない。銀座のラ・ベットラでさえ「現地の料理そのもの」としてもてはやされたが、実際シェフによって素材や調理法はかなり厳格に選別され磨かれていると思う。

さて、イタリアが地域特性の集合体というのは、なにも料理に限ったことではない。そもそも料理以前に、地域単位で人の性格が全く違うし話す言葉も全然違う。ローマ人、ナポリ人、シチリア人・・・と地域によって「〜人」と呼称をつけるくらい地域民性が違う。そしてイタリア人自身、地域間の隔たりを意識し、それを払拭どころか維持しようとする。例えばベネチアとパドバは隣あわせの都市だが、「パドバ人はこう、ベネチア人はこう」というように定義するのだ。そして最も大きな隔たりは北と南のそれだと思う。北イタリア出身のイタリア人は、南イタリアに対してだらしない、働かないという印象を持っており、まるでEU加盟国内の経済途上国が足手まといだと嘆いているドイツの姿が重なるくらい、自分達とは異なる存在として彼らを表現する。

せっかくなので、ノトが滞在しているパドバにフォーカスしてみる。
ここパドバのイタリア人は、日本人が「イタリア」に対して抱いているイメージと全く違う。イタリア語を話すドイツ人くらいに思っておいた方がいいかもしれない。外見もしかりだ。金髪青眼がかなり多い。女性は結構日本人に体格が似ていて(ノトはここでもでかい)、男性はたいてい背が高くてマッチョで、無人島で槍だけ持たせてもたくましく生きてそうな狩猟民族の血を感じさせる。
体系こそ狩猟民族なれど、人格はものすごく保守的だ。日本人くらい保守的かもしれない。
食べて、歌って、恋をして、なんていうイタリアは、まず間違いなくここではない。本当に、驚くくらい日本人の思考に似ている。似過ぎていて、外国語で話しているということを忘れるくらい、意思の疎通ができてしまう。家のしがらみのために夢を諦めたり、社会的な地位を気にしたり、内向的な国民性のため英語力が伸びないことを嘆いたり、ドイツ経済をうらやましがったり、南イタリアの怠慢さに憤慨したりしている。そしてここの人たちはものすごく働く。自分たち自身を「よく働く」と自己評価しているくらい、実際よく働く。朝8時9時から働き始めて2時くらいに一旦閉め、4時からまた8時くらいまで働く。遅い家で夕飯を食べるにしても、夜9時くらいから食べ始める。人によっては過労で倒れる人もいる。実は北部は自殺率も南部より4倍近く高い。
実際イタリアに来るまでは、パンツェッタ・ジローラモみたいな人が道という道をひしめき合っていて、50mごとに結婚してくれとプロポーズしてくるんじゃないか憂慮していたのだが、北部においては今のところプロポーズどころかどんなナンパもされていない。ノトの名誉のために言っておくがノトの美人度合い云々の問題ではなく、このエリア全体にそういう風習がないのだ。

ここパドバで彼らが私を歓迎してくれているのは、基本的に内向的で実直な彼らの生活背景もあるかもしれないと思う。日本人同様、保守的ながらにも日々に刺激を求め、何か大きいことをやってみたいと思っている。だから得体の知れない異国からやってきた(オープンな)日本人をとても歓迎している。ノトはそういう彼らを目の当たりにして、何かを「教えてもらう」ことよりも「こちらから教える」ということを意識して行うべきだと思うようになった。それが彼らにとって最も刺激的で興味深い機会であり、彼らのホスピタリティーに最も釣り合う対価のようだ。もしみなさんがイタリアに来る際に日本からのお土産を買ってき忘れても、こっちのスーパーで醤油を買って醤油バターパスタからすみ風味を作ってあげれば、お土産を忘れてよかったと思うと思います。

さてまた話がそれるが、イタリアという国について様々な発見をしつつも、客観的にしか捉えず無意識的にも第三者であり続けようとしている自分はやはり日本人なんだなあと強く再認識している。そしてこれまでのノト史から見れば意外なほど、イタリアにおいて第三者でありつづけていることは正しい自己配置だと確信している。若かりし頃は全体的に内向的な日本人であることを疎ましく感じ、日本を飛び出し日本のルールから解放されたいと思っていた時期もあったが、今は豊かな日本人としてのカードを持っていること、このカードで戦える機会を持てることを幸運だと思う。
ノトにこのような変化をもたらしたのは社会人としての経験だと思う。社会人になり会社やビジネスの動きを多少なりとも知って、自分に社会を支える力があることを自覚したことが、この思考の変化をもたらした。
日本にはもう数えきれないくらいダメなところがあるし、電車の中吊りは戦後以降いつ日本が沈没するかについての議論にいとまがないが、しばらくそういった情報から遮断されて自分の体験として経験し、自分の頭で処理するようにすると、世の中に溢れる情報や目につく広告がいかによこしまで人の注意をひくことだけを目的とした浅はかなものか感じる。一番最初に入って来た情報に意識を奪われ、思考を奪われ、感情を奪われてふりまわされて前に進めなくなるなんて、なんて損をしてしまっているだろうと思う。そして情報を自分で選びとっていると思っていても、多くの場合、手にしている情報は、既にフォトショップで修正されトリミングされた写真のように、規格内に収まるように美しく加工されたものだ。しかもそういう類いの情報が反乱しているため、日本人にとっての情報がテレビと新聞と雑誌がとネットが全てではないことに気付きにくい。ノトはあまり何かを人に勧めることはしないのだが、目的に依らず自分の足で赴いて、自分の目で確かめに行くということについてだけは、強くオススメしたい。自分の足で赴き経験するというのは、思考を促す触媒そのものだ。

とはいっても、この旅に出るまで私自身、自分がどうありたいのか、このバケーションで何を見つけられるのか、明確な目的・目標意識を持てなかった。正直なところこのバケーション取得は少なからず逃避行の要素が存在した。そういうわけで機能正常化後は、出発直前まで、プロジェクトを途中離任する後ろめたさ、罪悪感で、バケーションを申請したことを後悔したりもした。ノトは外見とは裏腹に意外と内向的でまじめなのだ。しかし実際バケーションに突入し、震えながら国際線に乗り込み、これまでのあらゆる日常から遮断され全く新しい環境に身を置いたことで認識したことは非常に多い。今や後悔どころかノト2○年の人生の英断の一つにカウントされる。
そして今では、自分はこうだから、会社はこうだから、日本はこうだから、という先入観にとらわれて、挑戦の意欲を早々に摘んでしまうことは今後改善されるべき悪しき習慣だと思うようになった。いつかも書いたが、世界における日本のポジションは激動の最中にあるし、様々な負債を背負って将来を作って行くのは今の若年層だ。環境の変化に応じて戦略だって変えなければならないのだ。そしてそういう社会的な責務以上に、形骸化した数多のしがらみは、個々人の生活から多くの可能性の要素を摘み取ってしまう。

違うことをすることは必ずしも多くの賛同を得られないかもしれない。阻止を試みたり忠告をする人たちとの関係も悪化するかもしれない。結果的に何かに成功したところで少なくない嫉妬を買うかもしれない。でも、なんだかんだ言って私たちは最後は自分で自分を起動しなければならない。社会は時としてそれを忘れさせるほど、複雑で注文の多いものだけれども、人生の主役はいつも自分であるべきだ。その方が最終的に自分にも自分をとりまく環境にもいい結果をもたらすのだ。

バケーションが終わって会社に復帰したら、ノトは堂々と、個人を尊重する中堅でありたいと思う。
※親愛なるIBM同志、ノトを解雇する場合はお手数ですが早めにお知らせください。

つづく

 - イタリア旅行記, 料理

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