ベトナム人と結婚してみた 11. 月餅作り
2017/10/29
ベトナムでは旧暦の8/15に中秋節があって、月餅(Bánh Trung Thu、Trung Thuは中秋の意)を贈り合う文化がある。イメージとしてはお歳暮に近い。スーパーやカフェなど、食品を扱う店では至る小売りで月餅を売り出すが、幹線道路にも即席の月餅テントがぼこぼこと乱立して月餅を売りまくり、人々はそれをどこへ贈るのか、とにかく買いまくる。
今年の中秋節に向けて月餅を作ってみたいかと旦那さんの姉ちゃんに聞かれた。別に作りたくないけれど、この人が私に何かをしてみたいか訊ねる時、それは私の意思を確認しているのではなく、彼女の要望を私に共有しているに過ぎない。胡椒摘みの時だってそうだった。つまり、私が月餅を作りたいかどうかは実際は関係なくて、姉ちゃんが月餅を作るから付き合え、ということなのである。別件でちょっと恩もあるし、しょうがないので付き合ってあげることにする。尚、この度姉ちゃんがうちに来て月餅を作りたかった理由は、月餅を一から作るには大きめの鍋と広い作業台とオーブンが必要で、姉ちゃんのうちにはいずれの機材もないので、うちを使おうという魂胆だったようだ。
翌週の日曜日朝8時、姉ちゃんはレンズ豆みたいな乾燥豆をどっさり持ってやって来た。突然電話がかかって来て、今着いた、地下にいるので今から行くとのことである。来るとは聞いていたがそんなに早くやってくると思っていなかったので、こっちはまだ寝ぼけ眼な状態である。姉ちゃんはそんなの関係なしにあがり込んで、一人で豆を茹で始める。完全放置の甥は朝ごはんすら食べていなくて、私たちが朝食を出さざるを得なくなってパンを焼いて出してあげた。このあたりから不吉な予感がする。
姉ちゃんは床にも具材を広げて(ベトナム人はよく床にものを広げて床で作業する)いよいよ本格的に台所を占領し始めたが、私たちは部屋の掃除とか赤ちゃんの世話とか甥の相手をしていて全く関与できない。仮にも私に月餅を作りたいか意向を確認していなかったか?
姉ちゃんは練った豆を濾してなめらかなペーストにしたいと、濾し器を貸してと言ってくる。まぁ今回はたまたまあるけどね、でも普通の家にはないから。次から持参でよろしく、と心の中で思うのだが、根がチキンなので「あります」とだけ言って、嫌味の一つも言えない。豆を濾してこしあんのようにし、さらにその中に入れるアヒルの卵黄を作る。アヒルの塩漬け卵から卵黄だけ壊さないように取り出して、オーブンで焼く。アヒルの卵黄は生臭みというかちょっと苦みがあって、文字どおり煮ても焼いても美味くならない。入れない方が絶対おいしい。だけど卵黄というのはその色が金色に見えることから、富の象徴のような意味合いで入れるのが伝統ということらしい。
この卵黄が焼きあがると先ほどのこしあんで包み、小麦粉で作った生地でさらに包んで、型に油をたっぷりつけて生地を詰め込み圧をかけて成型する。本来は木の型に小麦粉をはたいて生地を押し込み、トントンと叩いて成形した月餅を取り出すらしいのだが、簡易版のプラスチックの押し型が出回っていてそれで成形する。
一度軽く焼いて途中で取り出し艶出しの卵黄を塗る。姉ちゃんが、卵黄ぬる料理刷毛はあるかと聞いてくる。「ない」(心の声:普通ないしうちにもない!)と答えると、えーないの?困ったなぁ、ときた。もうちょっと台所を使わせてもらっている立場をわきまえ、かつ自身の準備不足を省みて欲しい。
艶出し卵黄を月餅の上から流しかけ揺らして落としてなんとか塗りきり、仕上げ焼きをする。見た目の仕上がりはとてもきれいだ。でもやはり塩アヒル卵黄がなんとも不味い。類似する組み合わせとして、焼きタラコ入りの大福を想像してもらえるとよいかもしれない。
結局18時まで月餅を作り続ける。味こそあれだが楽しませてもらったし、まぁ食べていきなよと、みんなで夕飯を囲む。休日だしちょっと豪勢に、ベランダでベトナム風の八角風味の漬け肉をグリルして、野菜やブンという麺と一緒に生春巻きの皮で巻いて食べる。
夕飯を食べ終わっておいとまという時になり、姉ちゃんは20個くらい作った月餅を3個、うちに置いていこうとする。え、いやいや、材料費を姉ちゃんが出したにしても、散々うちの台所使っておいてその配分はおかしくないか?でも不味いので、その配分はおかしいと主張して半々で分けられても困るので何も言えない。
不満に思っているのが顔に出ていたのだろう、姉ちゃんは翌週、月餅の型で抜いた紫いものスイートポテトをくれた。別に型で抜かなくて全然いいんだけど。姉ちゃんはじめベトナム人親族の無遠慮なふるまいには閉口することも多いが、こういう彼らなりのフォローがあるから憎めない。日本人的には引き算な付き合いの”遠慮”を重視するが、彼らとしては足し算の”世話焼き”を提供して関係を構築しようとする。四方八方から押し寄せる”世話焼き”に、日本人の私なんかはすぐ疲れ果ててしまうのだけど、ある意味ベトナム人との結婚の通過儀礼みたいなものかとも思う。
しかしだからといって、あまりに寛大な姿勢や理解を示していると、あっという間に相手のペースに飲まれるので牽制をかけなければならない。月餅ウィークの後、私がとても寛大な嫁だと勘違いされたのか、毎週なんやかんやと理由をつけて親戚たちがうちに来るようになってしまった。先日も突然チェー(ぜんざい)持参で、赤ちゃんに会いたいとかで昼時突然うちにやってきた。チェーっぽっちじゃこの迷惑ペイしないんだよと、早く帰せと旦那さんにチクチク言う。そしたら娘(生後数か月)が私の意を汲んでくれたのか、親戚たちに人見知りしてギャン泣きを始める。ごめんなさいね〜でもざまあみろと、すごすごと赤ちゃんを引き連れて寝室へ退散。残された親戚達はやることがないので帰るしかない。帰れ帰れ。至極陰険な嫌な嫁である。しかしだ、世の中掃いて捨てるほど嫁義姉・嫁姑問題がある中で、人一倍に我の強い私という人間に寛大な姿勢を期待する方が間違っているし、多かれ少なかれ9割以上の嫁が同じようなことを思っているはずなので、私個人の問題じゃないですよと声を大にして言いたい。
ところでベトナムは日本以上に赤ちゃんへの関心と干渉が激しい。まだ核家族というライフスタイルが浸透しきっていないという背景もあると思う。とにかく親戚中が赤ちゃんの誕生を盛大に祝う。親戚だけでなく、知らない人たちにもべたべたされる。スーパーに赤ちゃんを連れて行くと、スタッフが赤ちゃんを奪って小脇に抱えながら野菜の計量作業を行ったりする。嘘だと思うかもしれませんが本当の話です。最近娘が人見知りして泣くので抱っこすることはなくなりましたがそれでもこんな状態です。↓
祝ってもらえるのは良いことだが、首を傾げなければならないこともある。例えば、FacebookのようなSNSにも勝手に写真を載せられる。日本だと赤ちゃんの顔を隠したりするけど、ベトナムは「顔見せしてなんぼ」なので当然そんなことしない。勝手に写真を載せるだけならまだしも、先日Facebookで知らないグエンさんの顔がうちの子供だったのを見た時には、この地で我が子を親戚の過干渉から守る決意を新たにしました。
↑知らないグエンさんがうちの娘
こんな話を聞くと、私がなんて義理親不孝な心の狭い人間なんだと思う人もいるでしょう。私も最初は、こんな些細なことを受け入れられなくて心が狭くて申し訳ないな、みんな赤ちゃんを可愛がってくれているんだから快く迎えるべきなのに、と罪悪感を感じていた。しかし最近は、無遠慮に太刀打ちできるのはこれまた無遠慮だと開き直るようになった。私は今ここに思うのであります、忍耐と形容される結婚生活を経ることで、気遣いのできる素敵なおばあさんになるかと思ってたがそれは思い違いで、むしろ気遣いに疲れて全てかなぐり捨てた無遠慮なババアに成り下がっていくのだろうと。そしてそれはベトナムでは加速されるであろうと。