ベトナム人と結婚してみた ⑩赤ちゃんの1ヶ月祝い
2017/08/31
大方のベトナム人にとって大人も子供も親族の家は自分の家、自分の家なのでどんな時にも突然前触れなくやってくる。その習慣をあなたが迷惑だと感じるなら、あなたにとってベトナム人との生活は厳しいものになるだろう。なぜなら、実生活ではそんなアポなし訪問が可愛くすら思える事態が連発するのだから。
私たちが日本への里帰りから赤ちゃん連れでベトナムに戻ってきた日、旦那さんの母ちゃんは前触れなくやってくるどころか、私たちの家に既にいてソファに寛いで文字通り待ち構えていた。しかもベランダで勝手にゴーヤときゅうりまで育てていた。翌日になると、呼んでないのに義理の姉と甥がやってきた。私たちから帰郷の連絡を入れずとも、こういったビッグイベントには親族特設連絡網が発動し四方八方に情報と集合号令が流れるのだ。そしてこっちの都合の確認など当然なしにがやがやとやってきて、一応母親の私を差し置いて皆で寄ってたかって赤ちゃんを奪い合いあやす。家も共有なら子供も共有なのだ。
このようにして私のベトナムで子連れ生活は始まった。
ベトナムでは生後1ヶ月の赤ちゃんの幸せを願って満1ヶ月祝い(đầy tháng)を行う。自宅のテーブルを神棚に見立ててガックという野菜で色をつけたおこわとチェー(ぜんざい)を飾り、お祈りをする。そしてこの満1ヶ月祝いも、アポなしの例にならって突然、しかも月曜日という平日に開催された。私は旦那さんから、「父ちゃんが特別なチェーを持って赤ちゃんを見に来る」とだけ聞いていた。その説明の軽さから、父ちゃんが赤ちゃんを見に来る時に手土産にチェーを(甘党の私のために)持ってくるのかと思っていた。
しかし実態は全く違った。父ちゃんが来る当日、旦那さんは早起きして忙しなく部屋を掃除し始めた。朝8時くらいに母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃんに甥と、総出でドヤドヤとやってくる。そして件のチェーは手土産どころか12人分が別送で届いた。併せておこわも12人分届いて、さながら舞台セットのように場所を取っている。私のための手土産でないことは明らかである。旦那さんの説明は間違ってこそないが、説明として決して十分とも言えない。
旦那さん家族はてきぱきと、総出でうちの居間の家具の配置を勝手に変え始める。テーブルを窓際に移動し、チェーとおこわ、そして花やら線香やらを並べる。おこわには「福」という漢字が芋で型抜きされていて、おめでたい席用のものだとわかる。1こ300gくらいのどっしりとしたおこわで、ココナッツミルクで炊かれている。母ちゃんは鶏を丸々一羽持参して、勝手にオーブンで焼き始める。脂のたっぷりのった鶏から煙がもくもくと上がり、家中に匂いが立ち込める。母ちゃんは家中のドアと窓を全開にしたりして、マンションのフロア中にローストチキンの匂いを拡散している。日本だととんだ近所迷惑だが、ベトナムでは所構わず匂いを立ち込ませているのはよくある光景である。ベトナム人はオフィスでも昼食時は構わずヌクマムの匂いを立ち込めさせている。さんざん匂いを散乱させて鶏が焼きあがると準備完了、お祈りの際に使うゴザの代わりに姉ちゃんがどこかから見つけてきた私のヨガマットを引きはじめる。プライバシーのプもない。
父ちゃんがお祈りを開始する。即席神棚にぶつぶつとお祈りを捧げた後、ヨガマット上で真剣に土下座の姿勢でお祈りをする。しかし申し訳ないが私にはヨガのポーズにしか見えない。
ヨガもとい生誕1ヶ月のお祈り
朝から念入りに準備した割には、父ちゃんのフリースタイルの軽めなお祈りが済むとお祝いの式はもう終わりらしく、片付けと昼食の用意が始まる。昼食を食べていくということは聞いてないのだが、当然のように皆が勝手に用意し始める。鶏肉は昼食用に解体され、私が自分用に作っておいたピクルスが勝手にテーブルに並べられる。余談だがベトナム野菜はピクルス作りに向いている。ピクルス向きの小さなきゅうりやカリフラワー、セロリなど野菜は軒並み新鮮で安く、ピクルスに入れると美味しいディルというさわやかなハーブもフレッシュで売っている。私のお気に入りは、Cà pháoという白くて丸い小茄子で、茄子と名前はついているが身の中にはタネがびっしり入っていて、プチプチとした食感が面白い。小玉ねぎのような形をした、香りの良いエシャロットもピクルスに向いている。
昼ごはんを食べ終わると旦那家族は夕方までひたすら団欒の時を過ごす。他人のうちのソファーで大股広げて寛いで、3時くらいになると昼寝すらしてしまう。私も最近こそもう慣れてしまって、旦那家族には好きにさせて自分はジムに行ったりする。日本の生活での、全て統制がとれた様は小気味好いものだが、最近ではベトナムのルーズなところも気楽に感じられるようになり、双方一長一短だと思うようになった。
こうして新たな家族を迎えて、私は里帰り後のベトナム生活を再開した。ベトナムに骨を埋める覚悟はまだないが、もう日越ハーフの子もいる身、アオババを着こなしてサイゴン弁を操る怖いばばあになるべく、まずは手始めにと今日もタクシーの運ちゃんに下手なベトナム語でからみます。