ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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娘の1歳誕生会 ②波乱の幕開け

      2021/07/25

ダクノン省は、控えめに言って何もない、ベトナムでもGDPは下から10番以内の貧乏県である。時間距離と心理的ハードルを考えると、東京―ホーチミンよりホーチミン―ダクノンのほうが外国に来た感すらある。土地としての特徴もない。特産はコーヒーと胡椒だが、これはベトナムに腐るほどあるモノ1位と2位である。ダクノンの暮らしは、私のこれまでの生活と相入れるものが一つもない。 ブログのネタに出来るのが不幸中の幸いである。

このダクノンに、子供の1歳誕生日会を催しに行かなければならない。ろくなものがないダクノンで高いQOLを維持し快適に過ごすため、高い美容液、大容量モバイルバッテリー、モバイルwifi、部屋に一つしかないコンセントから電気とりまくるためのたこ足配線を買って、準備万端いざ出陣。旦那さんが”Good news”と言うところによると、義父は孫を迎え入れるため満を持してトイレの水まわりを改装したとのことだが、ベトナム人の”Good news”は話半分に聞かなければガッカリするはめになるので要注意だ。どうぜ流木状態のボロ扉が新品の木板になったとかいうレベルに違いない。

ダクノンに行くには寝台バスで6時間程かかるが、娘が猛烈にハイハイするので今回は運転手付きの車をチャーターして行くことにした。2泊3日でたしか3万円くらいだったと思う、意外とそんなに高くない。ベトナムでは世帯収入が月2,000ドルあたりから車を持っている家庭が多いが、私は車は絶対に買わない。外国で高い関税を払って日本車を買うこと自体が馬鹿らしいし、そもそもどうせぶつけて永久に目的地に辿り着かない。実際交通量の少ない地元においてですら車をかすってえらい目にあったのに、ホーチミン市でかすらない日はないだろう。私は動体視力と空間認識能力に非常に劣っているのである。私は多少毒づいているだけで日頃かなり真面目に生きているのだが、どんなに日頃真面目に生きて徳を積んでも、車をぶつけたら(当たり前だが)徳では許してもらえない。いざこざがあった際に徳貯金で乗り切るため日々枕を浮かせて理不尽に耐え忍んでいるというのに。なのにとっておきのいざこざで徳は役に立たなかった。あの時の不快さは車を持つことの利便性を遥かに凌駕する。

車を持つことのデメリットに熱くなってしまったが、話を戻そう。レンタカーに布団をたんまり持ち込んで、2列目シートを快適なフラットシートにする。娘も分からないなりにもピクニックのような空気を感じ楽しそうにしている。奴隷船(寝台バス)から一気にプレミアムエコノミーである。金曜日仕事後の出発だったので、夜の9時ごろ出発する。しかしティッシュを買わなきゃミルクを買わなきゃだの何だのと、なかなかホーチミン市から出ない。やっぱりバスのほうが早かったかもしれないと思っていた矢先、隣町のビンズオンでまさかのパンクに見舞われる。運転手が道端でタイヤ交換を始める。しかし交換後も振動が続く。レンタカー会社に電話しろ、すぐ直らないなら車変えろとぐちぐち文句を言うが、ホーチミン市に今から戻るのは遅くなる、近くに修理工場があるからそこで直すと言う。しかし提携先の修理工場があるわけではなく、グーグルマップで修理工場を探している。もう夜10時を過ぎているし、あったとしても開いてないだろと思うのだが、ドライバーは十数キロ先の修理工場に向かう。しかしどんどん閑静な住宅街に入っていく。こんなところに本当に修理上なんてあるのかと思っていると、辿り着いたのは工場跡地。気まずい空気が流れた後、「17㎞先に別の修理場がある」とぬかす。いい加減にしろ、会社に電話して何とかしろと言えとブチ切れる私。困るドライバーに代わり旦那さんがどこかに電話をするものの、電話でベトナム語で「奥さんが心配して~・・・確認で~」なんて言っている。アホかこっちはベトナム語期間だけは長いこと勉強してんだわ全部わかるわ!!とまたキレる私。しかしその後もなぜか頑なにレンタカー会社の応援を呼ばず、近くの修理上のようなところに寄って、少し空気圧を調整しているうちに振動はなくなった。後で知ったことだが、実はタイヤを変えた時点でパンクは直っていて走れる状態だったのだが、私が鬼の形相でわめくから形式的に修理工場に寄ったとのことだった。走行品質のいい加減さにも私へのあしらい方も、思い出すだけで腹が立つ。

ところで本件、今でも私は間違ったことは一つも言っていないと思っているのだが、私だけが怒っていたあの状況、少し客観的に見ると、世の中の女性はこうやって歳をとるたびに頑なになって、所謂ヒステリックなクソババアになり果てていくのだろうかとも思ったりする。最近アラサーとも呼べない歳に差しかかりつつあり、ババアカテゴリとしての自分のキャラを改めて探り始めている。ババアはババアでも論理的で高圧的なババアに留まりたい。それを”留まる”と表現出来るのかはわからないが、怒りに任せて独りよがりにならないよう気を付けたいものである。

さて、パンクが直ってこの時点で夜12時、やっと目的地に向けて再出発となる。奴隷船からのプレミアムエコノミーと浮かれていたら、駐機場で3時間足留めである。やれやれ、ベトナムはある意味期待を裏切らないなやっと再出発だよとウトウトし始め、目が醒めると午前2時半。周りを見るとしっかりと舗装された道を走っており、都市の証コープマート(スーパー)もあって、ダラットにいるのかと思ったらなんとダクノン省のある町の中を走っていた。グーグルマップで見ると旦那さんの実家から24キロの場所だった。義理実家からハーフマラソンの距離で、こんな近くにこんなまともな町があるなんて、ダクノン省も意外に頑張ってる?捨てたもんじゃないかも?と思ったりする。しかし、霧の中を抜け、二つほど集落を抜けて、うねうねと山道を抜けて、午前3時ごろ辿り着いたのはいつものあの場所、よく知る僻地であった。

さて、よく知る僻地のよく知る高級掘っ立て小屋(義理実家)の前に、大きな祝賀会用テントが設置されている。家と同じくらいのサイズがあって、中にテーブルが複数並べられている。家の中から義母がすごい笑顔で出迎えにくる。すばらしいテントでしょとのことだ。でもテントは頑張っても所詮テントであり、テントのすばらしさには上限がある。もう一つ難癖つけさせてもらうと、Chuc mung sinh nhat(誕生日おめでとう)とか書いているのかと思いきや、すごくおめでたい感じで業者の名前が書いてあるあたり、日本人的にはおもてなしの心が足りない。

テントもそこそこに就寝し、翌朝目が覚めたら7時55分で、8時から朝の式だ早く起きろと声をかけられる。寝る前に言って欲しかった。例によって義父が、祖先のばあちゃんの写真とお供え物をした神棚に向かって、線香を持ってお祈りを始める。いつもは義父だけなのだが、今回は義父の兄、義父、旦那の順でお祈りをささげる。線香をあげてつぶやいたあと、ひざまずいて起き上がる独特なお祈りを何回か行う。女性はお祈りをしなくていい。女など祈るに足らない存在ということなのか。このあたりに男尊女卑を感じる。しかし構わない、サイフも含めた実質的な全ての実権を握っているのは私なのだから。うちのばあちゃんも生前言っていた、霊なんかいないと。だから皆さん、好きなだけ祈るがよい。私は名より実を取るんです。

霊前バーピーが終わって10時からレストランで盛大な誕生会をやるというので、アオザイに着替えてレストランへ向かう。レストランに着くと、ウェルカムボードに例の家族写真のパネルと、自分と旦那の名前が書いてある。娘の名前はない。そして名前の上には「結婚披露宴」と書いてある。どうやら娘の誕生日会ではないようである。旦那さんに聞くと、「誕生日会と結婚の報告だけど”誕生日会”がなぜか載っていない」とのことだ。早い話、私はつまらないローカル対応に気を取られ、肝心なところで盛大にしてやられて・・・・・・しまったのであった。

 - ベトナムをゆく

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