ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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出産体験禁忌一式〜無痛分娩・即復帰

      2018/10/23

他の記事でちょこちょこ書いてあるように、去年の夏に第一子の長女を出産した。駐在という立場上あまり長く産休で職場を離れることは避けたかったので、9ヶ月直前まで働き、約3ヶ月の産休だけで復帰した。出産がどのくらい大変なイベントなのか想像もつかなかったが早く復帰することだけは確定していたので、”陣痛を軽減して体力を温存できる”という無痛分娩で出産することにしていた。その頃日本では無痛分娩のネガティブキャンペーンが佳境だったのだが、私としてはしなくていい苦労(陣痛)を金で解決出来るメリットの方が重要だった。ネガティブキャンペーンの中では特に麻酔による事故リスクが持ち上げられるが、帝王切開と同じ麻酔方法だそうなので特殊でリスクの高い麻酔を採用しているわけでは無い。麻酔をしない場合に比べて麻酔のリスクがあるという点はその通りで、だから必須ではない麻酔をすることで余計なリスクを増やすべきでは無いというのは一理あるが、日本のネガティブキャンペーンはそれ以上に根性論が先行して建設的な議論になっていないので私は全く気にしなかった。それに周りを見渡すと、ベトナムで出産した知り合いはデフォルトで無痛分娩だったらしいし、上海の知り合いは「帝王切開か無痛計画分娩か自然分娩」のどれにするか選択で出来たと言っていて、またアメリカ人の友人は「無痛分娩は今世紀最大の発明だ」と言っていて、無痛分娩を選ばないという選択肢が自分の中になかった。

だから非建設的なネガティブキャンペーンを一蹴して、無痛分娩の恩恵を目一杯享受し、スパッと産んでパッと復帰する予定だった。しかし結果的にあらゆる側面で、思い描いていたようなイベントにはならなかった。

妊娠期間中は特に何の問題もなく順調で、予定日2日で陣痛が来た。あまり覚えていないのだけど、お腹を壊した時のような痛みがあるなぁと思いながらうとうと寝ていたら、いよいよ痛くなってきて、これは陣痛かもしれないと思い病院に向かった。家を出てから10分くらいで病院に着いたのだが、病院に着く頃には歩くのもままならないくらいだった。頼んでおいたとおり無痛分娩を希望すると、子宮口が5cm?だか開くまで麻酔は入れられないと言う。だがこの時点で定期的にやってくる陣痛に身悶えている状態だったのだが、ここから3時間くらい人並みに陣痛を味わわなければならなかった。病院側が無痛分娩ではなく”あくまで和痛分娩”だと繰り返していたことを思い出した。ちなみに陣痛の痛みを私なりに形容すると、健康診断でバリウムを飲んだ後に渡される下剤を飲んで数時間後にやってくる腹部の激痛に似ている。それに腰を横に開いて割ろうとするような痛みを加える。産んだらまた産みたい、痛みなんて忘れてしまうなんてよく聞くけれど、まぁ気のせいですね。痛かったしもう二度とごめんです。

さて、病院側は私から苦痛を取り除くことをせず何をしていたかと言うと、陣痛が始まって3時間経った頃にやっと最初の麻酔を入れた。助産婦が痛みは減ってきたかと聞いてきたので、25%くらいしか減ってないですと定量的な回答をしたら、「判断能力あり=麻酔が十分利いている」と判断されたようで、以降何度麻酔追加要請をしても軽くあしらわれるようになってしまった。普通はもっと痛いんだから頑張れとも言われてしまった。そういう根性論と痛みを回避するために追加で払ってるのだが。しかしまさか分娩台でそんな生意気な口はきけない。分娩台で大股開いて毒づけるほどにはまだ私は図太くなり切れていない。麻酔を追加してくださいませんかね?と下手したてに出たりして頼み方を変えてみる。しかし助産婦たちは私の必死の依頼を軽くスルーし、痛くなったら・・・・・・呼んでねーとどこかに行ってしまった。私の認識では、今の私の状況は彼らを呼んでいい条件を既に十二分に満たしているのだが、彼らとは認識がだいぶ違うようだった。

無痛分娩なのに全然痛い、話が違う、と毒づきながら痛みに悶えていると、結構あっという間に分娩が進み、出産間近になった。そしたらそのタイミングで助産師が戻って来て、あーもう生まれるわ、破水しましょーと言う。呑気なもんである。破水をするといよいよ腰が割れるように痛い。しかしどれだけ痛いと言っても、もう生まれるからもうちょっと頑張れの一点張りである。それはつまり麻酔が切れてるってことでは?!と思うのだけど、わめくのもみっともないし、そもそも息も絶え絶えでそんな口論をする余裕はない。そうこうしていると担当の医者がやってきた。そして開口一番「麻酔追加!」。助産婦に対して怨念にも似た黒い気持ちが湧いた。そしてせっかく麻酔を追加したものの、麻酔が効く前に娘は生まれた。

産後、新生児の面倒もほどほどに(ほとんど旦那さんがやっていた)、病院が無痛分娩を謳っているにも関わらず実際は全く無痛でなはかったことを3日くらい愚痴っていた。しかしお見舞いに来てくれた人や友人は、麻酔は入れたは入れたんだからクレームは出来ないと正論を言い、コンサル仲間に至ってはあらかじめサービスレベルを確認しなかったお前が悪いという説教をよこしてきて、ただ愚痴を聞いてほしいだけなのにこいつら血も涙もないと思った。そして正論というのは時として人を傷つけるのだなとしみじみと思った。

効能に十分あやかっていないのに追加の麻酔をしたもんで、麻酔の後遺症の頭痛だけはきっちり1カ月続いた。そして母子手帳にはしっかり「無痛分娩」という印鑑が押されていた。それはまるで根性なしのレッテルのように、きっちり「自然分娩」とは区別されていた。しかし結果としてあれだけ痛みに晒されたので、私としては苦しみ損である。

産後実家に1ヶ月半お世話になり、ベトナムに帰国した。赤ちゃんは1ヶ月だとまだ寝返りもしないしあまり動きもしないので、国際線のベビーベッドでずっと寝ていてくれてとても楽だった。

私自身は予定通り産後2ヶ月で復帰した。最初は緊張感があったし短期間で戻ったので頭もボケておらず割とすんなりと復帰できたのだが、産後3か月目あたりで髪が抜け、6ヶ月から疲労が溜まるようになって一気に痩せた。エネルギーを生み出す骨肉が無くなって、力が出せなくなるのをありありと実感した。体力は全盛期の10%程度に落ちたような気がした。充電能力が極度に落ちたバッテリーのような気分だった。もともと強かったアルコールにも弱くなった。とにかく疲れやすく、気分の上下が激しくなった。母乳に恵まれて完全母乳で育てていたのだが、これがものすごく体力を奪うようで、慢性的な疲労が取れなくなっていった。鉄分とビタミンのサプリでだいぶ改善したが、毎日お菓子を食べても体重落ちる状態が続いた。最近産後約9か月経って自分自身もだいぶ調子を戻してきたし、幸か不幸か体重も戻って体力も戻ってきた。尚、育児の傍私を一日中支え続け、家事を完璧にこなし、理不尽な要求にも笑顔で対応し続けた旦那さんは、第二子はいらないと最近宣言していた。あの笑顔の裏で彼なりに思うところがあったらしい。

実はうちは旦那さんが産前から自分の仕事を減らして、私の身の回りのことを全てサポートしてくれて上げ膳据え膳だったので、私はあまり育児に没頭することもなく、世の中のお母さんとは育児のストレス度合いが全く違う。こんな怠惰な母は日本だとああだこうだ言われるけれど、私自身は夫婦で適性に応じて役割分担すればいいと思っているので、男だから、女だからという固定観念に縛られずに柔軟に旦那さんと協力しあってやっている。(というか私がやりたいことをやって旦那さんが残りを全部やっている)旦那さんの家事育児スキルはいつのまにかすごく高くなり、家を綺麗に保って食事と、お弁当まで作ってくれる。毎週私の子守当番があるのだが、その時には旦那さんの帰宅をひたすら首を長くして待つ。その代わり私は仕事に精を出し、お金を持ってくる。子供のため家族のために仕事を頑張る日本のお父さんたちの気持ちがよくわかるようになった。日本のおじさんたち、今までイジメ倒してすいませんでしたね。いやそれがご希望でしたっけか?

ところで子供のことを全然書いていなかったけれど、子供はとてもかわいい。日に日にかわいさが増していく。私はもともと子供嫌いで、周りにもそれを公言するほどだったのだけれど(超性悪)、今は子供、というか自分の娘くらいの子供を見ると可愛いなぁと思うようになった。他人の子供の中にも自分の子供を見るのでしょうね。30年以上生きてきて自分が子供を好きになれるという自信は全くなかったが、体の中には”母性発動”なる隠しコマンドがちゃんとあって必要に応じてきっちり機能して、ありきたりな表現ながら、自分は自分のことをまだまだよくわかっていないんだなぁと思った。一番わかりやすく変わったのは、貯蓄体質に保身的になったことだ。もう世界の端に行きたいとはあまり思わないものなぁ。むしろ老後の貯蓄と社会情勢ばかり憂慮している。50歳くらいになったら多分に漏れず自民党がどうとか言っているのだろうか?

若い読者の皆さんは、私のような無鉄砲で世間知らずな人間ですら、子供が生まれるとここまで落ち着いた、地に足の着いた人間になってしまうのだと念頭に置き、20代のしがらみのないうちにやりたいことをやるべきです。きっと30代になると、いろいろ周りの都合で動けなくなるから。お金も自由に使えないしね。そういえば、私が誰よりも地に足の着いた・・・・・・・生活をしていると聞いたある友人が、”それは普段素足で過ごしているということか”と聞き返してきて、なんと機知にとんだシュールな返しだとほくそ笑みつつも、こんなひねくれた友人ばかり残してしまった自分の遍歴を少しばかり振り返り、反省したのでした。

 - ベトナムをゆく

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