ノトニクル

ノトがパスポートとクレジットカードを持って世界のどこかをうろつきます。

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ベトナム人と結婚してみた ⑨初めてのテト 前編

      2017/08/30

2017年1月29日、旧正月2日目。やっと仕事を終えて旦那さんの実家ダクノン省に帰省する。

旦那さんの実家には足掛け2年で5回ほど行ったが、日本のお盆と正月を合わせたようなベトナムの一大イベントのテト(旧正月)に帰省するのは初めてだ。私の体調が万全じゃないことを理由に帰省を断ってもよかったのだが、基本的に精神年齢が幼いベトナム人、家庭持っても親離れ子離れしない人たちなので、旦那さんだって人知れずサイゴン砂漠でさぞかしホームシックに陥っているだろうと、可哀想だと思って帰省を計画したのはなんとこの私である。配慮の利く大変によく出来た嫁である。しかし自分で率先して計画したものの、きっと親戚中が集まってひっきりなしに挨拶周りに行かされ疲労困憊するのが容易に想像できたので、出発日が近づくにつれテンションがガタ落ちしていった。前日なんかお客さんに八つ当たりしていた。でももう出発日。逃げられない。

バスで移動なのでバスターミナルに着き、朝10時発のバスを待つ。バスターミナルは真っ赤なバス(縁起のいい色だからか私営長距離バスは大体赤い)が所狭しと並び人が溢れかえる。旦那さんに、スリに気をつけてと言われる。ベトナムでは旧正月時期にテトボーナスというボーナスをもらうのと、子供たちにあげるお年玉を包んでいるので、現金をいつもより多めに所持しているので書き入れ時なのだ。わざわざこの時期に地方から”出稼ぎ”に来るベトナム人もいるらしい。かくいう私はこの1週間くらい前にひったくり未遂に遭った。交差点を横切っていたら左折する2人乗りのバイクが近づいてショルダーバックを奪おうとした。しかしショルダーバッグの紐は切れず、そんな軽やかな体型ではない私は転びもせず、ひったくり犯は諦めてすぐに去って行った。この話を(注意喚起を促す意味で)お客さんにしたら「人を選べよな~」。この余計な一言で私からこのお客さんへの風当たりは増したのは言うまでもない。

さて、バスは15分ほど遅れてやってくる。さすが旧正月、稼働率が高くて定刻通りに運営されていない。遅延だけならまだしも2台あるはずのバスが1台しかない。どこか混んでる線に回されたらしい。やってきたバスに乗り込もうとすると、私たちの席にもう誰かが座っている。鈍臭そうな運転手がその人たちの券を確認すると、なんとダブルブッキングされている。最初2台あった別々のバスの、同じ席だったということらしい。私たちは絶対に席を確保するために2週間も前に券を買ったのにあんまりにも杜撰ではないか。確認するからちょっと外で待っててと外に放り出される。あらかた客が乗り込んだところで、その運転手が券売所に確認に行く。じわりじわりと暑くなってくる外で40分も待たされる。バスの遅延も入れるともう1時間ほど待っている。そして散々待たされた挙句、その運転手が「わかんねーわ」と手ぶらで帰って来る。知性から最も遠いタイプの人間という感じである。

結局違う席が空いているということでそちらの席に座ることになる。ダブルブッキングだが予約数は全指定席数以内に収まるように数の調整だけはしていたらしい。私たちは空いている指定席に座れたものの、指定席以外のいわゆる”立ち乗り”的な券もあるらしく、さすが2台を1台に集約した上での帰省ラッシュ、通路全てに”立ち乗り”客が埋まって出発。明らかに積載重量オーバーな気がする。山の間をうねうねと走る道なのだが、いつも以上に遠心力がかかって崖から転げ落ちたりしないだろうかと本当に不安になる。そんなに不安になるならもっとマシな手段で移動すればいいと思われるかもしれない。しかし、辺境の地ダクノンまでの移動手段に一等車とか三等車とかの選択肢はない。あるのはみな平等に貨物車両(このバス)だけである。それが嫌なら車を買って自分で運転するしかない。しかしベトナムは世界で最も車の関税の高い国で、販売価格は日本の約3倍する。ヒュンダイのしょぼい小型車さえ200万円を下らない。年数回の帰省のためにはコスパが悪すぎである。ちなみにベトナムには自動車のレンタルサービスがないのでレンタカーも出来ない。ドライバー付きレンタカーサービスはあるが、仮に旧正月の帰省にレンタカーを利用しても、ドライバーが旧正月中に見知らぬ土地で何日も待っていてくれるかどうかはかなり怪しい。自分の地元に勝手に帰ってしまうかもしれない。いずれにせよ貨物車以外で行こうとするとハードルは急に激高になる。ベトナムは交通サービスに限らず、なんでもそうだが中間が少ない。中間層は増えてきてはいるが、中間層向けのサービスが追いついていないのだ。

実家のダクノンに着く。義理の父ちゃんと義理の甥(3歳)が迎えにきている。この甥は1年くらい前にちょっとした都合で頻繁に会っていた時期があって、義理の姉と私の旦那さんが話し始めると会話についていけないこの甥と私が取り残されるので、はぶかれ者同士よく遊んでいた。飛行機が好きだったので私はよく飛行機の絵を描かされていたのだが、その勢いで甥がうちの壁に油性ペンで飛行機を描いてしまった。日本人なら当然親が(この場合義理の姉)、綺麗にして、消えない場合は壁紙交換を申し出たりすると思うのだが、そういう気遣いのない、壁は自分でペンキで塗っていいものというベトナム人、小さな子が壁に落書きしても謝らないし気にもしない。旦那さんも気にしていない。気にしているのは私だけだ。それ以来、文化差とはわかっていても解けないもやもやを抱え(ちっぽけな人間です)積極的に関わらなくなったのと、私が日本に滞在していたのもあり、今回話すのはほとんど1年ぶりだった。

旦那さんの実家に帰ると、母ちゃんが満面の笑みで出迎えてくれる。本当に嬉しそうである。こういう心からの笑顔を見ると、褒められないような上から目線の動機で帰省したとしても、実際ちゃんと来ておいてよかったと思う。

旦那さんの実家では誰も親戚が来ていなくて、思っていたより静かな正月を過ごしていた。後から知ったのだが、元旦と正月2日目くらいはまだ人の挨拶回りは少ないらしい。荷物を降ろしてくつろいでいると、父ちゃんに居間に来なさいと呼ばれる。そこには今は亡きばあちゃんの仏壇がある。仏壇と言ってもそんな大そうなものではなくて、ばあちゃんの写真と、果物と、線香があるだけの質素なものだ。旧正月は少しだけゴージャスになって、仏壇の前にテーブルを置いて夕飯用に作った食事をたんまり並べる。その前に更にござを敷いて手を合わせたり土下座したりしながら先祖にお祈りをするのだ。

父ちゃんは線香を数本点けると、手を合わせ目を閉じて頭をうなだれ、神妙な面持ちでブツブツとお祈りを始めた。南無阿弥陀仏みたいな定型的なものじゃなくて、家族が今年も一年健康で幸せでありますように、みたいなフリースタイルのお祈りである。2人の子供たち(我々のこと)が健康で、幸せに、金に困ることなく(父ちゃんに心配されるのは心外)、素晴らしい1年を過ごせますようにとお祈りしている。付き合い出してすぐにこの実家を訪れた時は、私はカラスの群れの中にいるシロサギみたいに浮いていて、義理の両親としても扱いに困っているようだったが、今はもう名前も略式(ミーさん)でなく本名で憶えてもらって(2年かかった)、旦那さんと同じように彼らの「子供」として幸せを祈ってもらっている。私は長らく彼らの裏の顔とか損得とかを疑い続けてきたことを反省する。いやもしかすると人に騙されないための正しい反応なのかもしれないが、空ぶった疑心暗鬼の残像は、こんなド田舎に於いては行き過ぎた重装備のような虚しささえある。

先祖へのお祈りが終わると、甥が何かの戦隊もののフィギュアを持って私を待ち構えている。このフィギュアで戦いごっこをしようというのだ。彼はレッドとブルーを持って、私には壊れたトラのロボットと、グリコのおまけみたいなペラペラの車のフィギュアと、縄跳びするドラえもんの人形を渡してくる。個体数こそ2:3だが、実質戦闘力は2:0ではないだろうか。むしろ車と縄跳びするドラえもんは足手まといになって戦闘力減算対象になるのではないだろうか。

幼児はそんなこともちろん気にしない。レッドとブルー(だいたいどの戦隊モノもこの色がトップ2である)で私の3匹をボコボコにする。もうそれはそれは、私に恨みでもあるのかという勢いで3匹をいじめる。ドラえもんなんか誰にも迷惑かけずに縄跳びしかしてないのにとんだ迷惑である。あまりにも一方的な暴力で面白くなくなった私は、この戦闘を収束させるためにまずはトラを帰宅させる。(「イタタタ、ボクはもう家に帰る!」とかベトナム語で言いながら隠す。)するとこの甥はレッドからトラに謝罪させる。「ゴメンね、僕は君をたたきすぎた、これから仲良くしよう」みたいなことを言ってトラを引き戻そうとする。円満和解で終戦ならそれに越したことはないとトラを戻すと、すかさずブルーがやってきてトラにとどめを刺す。3歳児のくせに随分狡猾な罠である。でもその三歳児は日本のレンジャーシリーズからこの狡猾さを学んでいるわけで、私が彼を責められたものではない。

ひとしきり3匹をボコボコにした後(車なんか車輪がとれた)、ウルトラマンの動画を携帯で観ようと母のスマホを借りてくる。私には弟がいるのでウルトラマンには詳しい。ウルトラマンの歌を歌ってあげる。(ウールートーラの父がいる~というやつ)ウルトラマンの絵もかける。レンジャーものも少しならわかる。(カクレンジャーとか)ハリケンジャーは歌も歌える。3歳児は3匹のリンチ時とは違う、キラキラした目で私を見る。3歳児の尊敬を一手に集める。まさに三歳児の星となった私、テト中始終この甥に付きまとわられることになる。(そしてこの甥はテト滞在後半、スパイダーマンの仮面をつけて鬼ごっこして遊んであげた私の顔を見て「鬼が来た」と大興奮するようになる)

夕方になると、叔父2人とその子供たちが集まってくる。さっきお祈りの時に並べていた食事を並べて、ポークシチューのような煮込みと、地鶏のグリルが出てくる。いつもなら私が食事を作るのだが、旧正月は日本の正月のように特別なしきたりとか料理とかがありそうで、下手に関わらないことにした。実際ベトナムの旧正月では、バインチュンという長方形やら円柱に巻いたちまきを食べる。中心には豚肉をじっくり煮込んだものとか鶏肉とか芋とかが入っていて、周りがもち米で巻かれているちまきである。どの家庭でも旧正月の数日前から作り始め、旧正月中ずっとこれを食べる。家庭の味というのがあるらしく、挨拶にやってきた人たちにも振る舞う。1切れはちょうど日本の大福1個くらいのボリュームがあるので結構食べごたえがあるが、訪問先の先々でこれを1切れは食べさせられる。朝ごはんをたんまり食べた日なんかは訪問先でこれを食べるのがきつい。味は日本人にも馴染のあるもので、食べるのが辛い類の食べ物ではないのが救いである。

旧正月は、帰省した子供たちは年に関係なくふんだんに食べ物を食べさせられる。食べるのは子供の仕事という感じすらある。自分の取り皿を空にすると絶えず食べ物をよそがれるので、食べたくないときは取り皿に食べ物を残すようにしておかなければならない。たくさん食べる子供(アラサーでも)は大変可愛がられる。私がバインチュンを2切れも食べて「おばちゃんの作るバインチュンは美味しいね」なんて言おうもんなら「とてもいい子」のレッテルがついて、かつ私のベトナム語は“聞き取れない”から“クリア過ぎて訛りの強い田舎者には聞き取れない”になり、ベトナム語も出来る賢い良い子だとお年玉すらもらえる。(私はこれで結構な額のお年玉をもらった)

夕飯は女子供は食べたら各々どこかに行ってしまう。外で遊んだり勝手に家に帰ったりする。男たちは石油のポリボトルに入れたやっすいベトナム焼酎を飲み続ける。味わうと言うよりは酔うための酒だ。アルコール度数は50度くらいある。以前焼酎を持って行ったら、水割りにもお湯割りにもせずにストレートで食前酒的に飲んでしまった。しかも感想が「ライト」だった。酒は“味わう”という類のものではないらしい。

夕飯後にシャワーに入るのだが、日照時間が少ない時期的な問題なのかボイラーが壊れているのかお湯が出ない。しょうがないのでやかんでお湯を沢山沸かして、それを水と薄めて使う。最初にこの家に来たときは自分の生活レベルとの格差に愕然としたものだが、意外と慣れるというか諦めるというか順応してしまうもので、こんな状況にあっても持参した高いシャンプーとふわふわのバスタオルでそれなりに上々なバスタイムを楽しむことが出来る。義理の父ちゃんは、こんなボロ家に滞在させて申し訳ないと常々言い、3年後までに貯金をして建て替えると言うのだが、もはやそんな気は遣ってもらいたくない。彼らにとっては私のようなシロサギを受け入れてくれるだけでも生活や人生観にとって大きな異変だったはずで、でも彼らなりに出来ることを一生懸命やってくれる姿勢に、これ以上の負担は強いたくないと思うようになってきた。それに私自身が、“ベトナム人は家族で助け合うのが普通”という習慣に変に責任感を感じて気負いしていたのかもしれない。でも彼らの助け合いというのは責任と言うよりは、恩恵の連鎖みたいなものである。貧しくつらかった日々を、体を酷使して作った金で支えた父ちゃんだったり、就職しても薄給の手取り3分の1を大学に通う弟に援助してきた姉だったり、彼らは私がこの家族に関わるずーっと以前から、血を分け肉を分けるような恩恵の連鎖を家族のために繰り返してきている。ベトナムで言う”家族を支える”と言うのは責任ではなく持ち回りなのだ。それはこの家族と長く付き合っていく中で語られる昔の思い出で知ったり、無理をしすぎて体を壊した時の母ちゃんの手術跡から知ったりする。だから私は自分の価値観やステレオタイプを思い込みとして処理して、彼らの歴史を偏見のない目で、自分から歩み寄って見るように意識しないといけない。そして自分にそういう歩み寄りの姿勢を持てるようになってきたこと自体、自分の一つの成長であり、濁った心が少し澄んでいくようで実は私自身が嬉しく思っている。だからこそ嫌々ながらも飽きもせずにこのド田舎に通えるのかもしれない。

 

 - ベトナムをゆく