ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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娘の1歳誕生会 ①波乱の夜明け前

      2018/10/29

子供が生まれる前から、1歳の誕生会は旦那さんの実家で盛大にやらせてくれと旦那さんに常々打診されていた。なんでも子供の1歳誕生会はベトナムでは盛大にやるのが習わしらしい。例によって断る理由を探してみるが、1年以上も前から打診されたら「忙しい」という理由で断ることもできない。むしろ義理の両親たちは、この盛大な1歳祝いを許可されることを前提に、それ以外の干渉を自粛している感すらあった。だから断ることは事実上不可能だった。まあ私としては、私のやりたいように子供の誕生日を祝えればあとは好きにしてもらって構わないので、「まぁいいんじゃない」と適当に返事していた。なので旦那さんたちが何を準備しているのか私の与り知るところではなかった。でも旦那さんは実家と頻繁に電話をして準備をしているようだった。

ある日、旦那さんがどうしても1歳誕生日の記念写真を撮り、誕生日会のパネルを作りたい言うので、しぶしぶ付き合って、ローカルのある写真館に行くことになった。子供の写真を撮るので私自身は何を着てもいいということで、適当にその辺にあったカットソーを着てみるもの、その場のノリで家族写真もとなりかねないので一応アオザイに着替えた。これが功を奏したというかなんというか、実際スタジオでは当たり前のように家族写真も撮ることになった。撮ることになったというより一連のシューティングのプランの中に予め組み込まれていた。私もだいぶローカルのいい加減な情報を鵜吞みにせず、対策出来るようになってきた。振り回されて愚痴っているだけの能無しではないのである。

娘には撮影用に可愛いドレスを買ってあってそれを着せていったのだが、スタジオでは5つのシーンでドレスもその度変えるとのことで、結局写真館の衣装を借りることになった。貸衣装の種類はかなりあったけどどれも薄汚れていて、靴なんか擦り切れている。そして娘に着せようにも、娘は知らない人、知らない場所にびっくりしてしまって、木にしがみつくコアラ、岩にへばりつくヒトデさながらに、4本の手足でむんずと私にしがみつきギャン泣きを始める。後日出直しという融通は利かないらしく、泣きわめく娘を無理やり写真セットに座らせて、シャボン玉やらぬいぐるみやらで気を紛らわせて写真を撮り始める。でもそんな小手先の手段では娘はまたすぐに泣き始め、結局スマホでYoutubeを見せながら写真を撮ることになった。結果幻想的な三日月の上でYoutubeを観ている娘、Vespaのミニチュアに寄りかかってYoutubeを観ている娘の写真がたくさん撮れる。

そんな感じで娘は始終泣くかスマを手にぐずっていて、ろくな写真なんか撮れてないじゃないかと思ったが案の定撮れていなかった。しかし泣こうがぐずろうが撮ったもんは撮った、この中から選べということで、400枚くらいある駄作から現像する写真を選ばせられる。しょうがないので公開に”耐え得る”20枚を選んで、表紙にする写真を指定して終了。このサービスレベルで〆て1万5千円もした。なんだかなぁ。その金でおもちゃを買って自宅で撮った方が自然な笑顔があってしかも資産(おもちゃ)も残り、何かとよかったんじゃないか。独身時代に買った無駄にハイスペックの一眼レフもあるし。(全く元とれていない)

この写真撮りに付き合ってあげた後、旦那さんが「ベトナム式のオリジナルの結婚式もしたい」と言い出した。結婚式にてんで興味のない私が私の大切な時間を割いて、日本での神前式にホーチミン市でのパーティーと2回も結婚関連イベントをやってあげ、それに加えてこの写真撮影である。もう十分過ぎる程の貢献をした。断じて拒否である。ちょっといい顔するとすぐこれだ、調子に乗るなよ。

さて、1週間して写真が完成。幅1mくらいの特大パネルに表紙がガラス張りの分厚いアルバム、手のひらサイズの小さいアルバムが届いた。こんな多種多様なサイズのアルバム作ることに時間と金をかけるなら、アルバム1つでいいからもう少しまともな写真撮ってくれればいいのにと思う。1mパネルはダクノンでの1歳誕生会でウェルカムボードに使うということだが、子供だけでなくて私と旦那さんまで写っていて、子供の誕生会なんだから子供だけにしてくれればいいのにと思う。しかしこのパネルが家族写真になっていたのは理由があった。後日ダクノンでその理由が判明するのであった。

 - ベトナムをゆく

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