ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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ベトナム人と結婚してみた ⑤精神鑑定編

      2018/04/09

ベトナムでの国際結婚では夫妻両者、健康診断名目の精神鑑定を受けなければならない。検査はいつ受けてもよく、唯一の指定は国立病院での検査が必須ということ。国立病院の医師は国家公務員というたて付けなのだろう。国の役所に提出する書類なので、国の機関で受診しなければならないといことらしい。

検査に行った病院は、直訳すると「熱帯病病院」(多分)という名前の郊外にある古くて汚い学校とか駅のような風貌の建物で、さしずめ小ぎれいな野戦病院のよう。平日の日中なのに非常に混み合っている。日本人がイメージするような病院の清潔感というのは1ミリもない。まずベトナムの一般的な病院は院内でスリッパに履き替えることもなく館内すべて土足で、ろくに壁もなかったりするので外気も遮断されておらず埃っぽい。患者の家族たちは往々に食べ物を持ち込んで空になった容器をあちこちに捨てるので、下手するとネズミとかも出現する。介護しにきた家族が床に敷いていたダンボールがぼろぼろになって床に散乱していたりする。こんなところで入院したら入院費用を払っていろんな感染病に罹患しそうだ。だいたい医療器具を適切に消毒したり使い捨てにしているのかも怪しい。そして極めつけはトイレで、あらゆる(外資私立含む)病院のトイレは未だ非常に不衛生で、使用済みの紙は詰まるので流さず脇のゴミ箱に捨てるようにと注意書きがあるのだが、ノロウイルスの患者がここでウイルスをまき散らしたら院内集団感染もいいところである。現地病にほとんど抗体のない日本人がここで1日過ごしたら、確実に何かの病気に感染するんじゃないだろうか。

↑病院の様子。床で寝ているのは患者の家族。ゴザは持参

診察室の外には昔日本の駅にあったみたいなカラフルでつるんとしたメラミン制の椅子が並べられていて、そこで順番を待つ。日本から持ってきたんじゃないかと思われるくらい、日本の駅の椅子に似ているし年季が入っている。そして駅にあってもおかしくないくらい埃っぽく汚れている。私たちの他に1組のカップルがいて順番を待っていた。ベトナム人カップルのように見えたが精神鑑定証書を一体何に使うのだろう。待っている間、一人のおじさんが電話番号を書いた紙切れをもって話しかけてきた。何かの代行を請け負っているらしい。まさか精神鑑定の代行は請け負わないだろうと思うので、婚姻手続きの代行申請だろうか。

10分くらい待つと部屋の中に入るように看護婦に促される。部屋の中には大きな机が2台離れて置いてあり、医者が一人ずつ座っている。私たちは奥の机に誘導される。すごくけだるそうな、ウィキッドの魔女みたいな女医が、すごく面白くなさそうに私たちの申請書を見て、私と旦那さんにいくつか質問をする。自分の名前、生年月日、職業、出身大学、大学の専門、両親の年齢、職業等。でもその医者は英語があまり出来ないので、途中から私の質問を旦那さんのほうに聞く。私の受け答えを見て精神状態を判断するんじゃないのか?旦那さんに聞いたら意味がないんじゃないか?

面接は10分くらいで終わり、外の廊下でまた待たされる。するとすごくケバい化粧をしたおばさん看護婦が、異様ににこにこしながら旦那さんに近寄ってくる。医者といい看護婦といい、自分たちの顔を取り繕う前に職場をもう少し綺麗にしたらどうなんだ。看護婦は旦那さん近寄ってくると、満面の笑みで旦那さんの肩をぽんぽんと叩いた。ベトナムの街中、いわんや公共機関ででそのような微笑みを見ることはめったにないので嫌な予感がするし気味が悪い。旦那さんはペコペコっと頭を下げてぼそぼそと何か話す。看護婦はポケットから白い封筒を出すと、旦那さんに手渡してどこかに行ってしまう。「お医者さんに御礼を包めってさ」と、旦那さんが20万ドン(1000円)を封筒に入れる。賄賂である。私は心底驚いた。賄賂というのはもっと、握手の時とかに手の中に札を握りしめてスマートに渡すものだと思っていたのだけど、まさか封筒までもらえるとは思っていなくて(しかもポケットに常備)、賄賂はあくまでも犯罪なのに随分とおっぴろげに執り行われていて、お年玉のような明るい義務感すら漂っている。

日本だと医者は高給取りのイメージがあるが、ベトナムでは必ずしもそうではない。特に国立病院の医者の給料はすごく少ないらしい。少なく見積もって10万円くらいだとして、毎日数名から賄賂を受け取って5000円の収入があるとして、20日賄賂をもらったら10万円である。山分けするとして手取り3万だとしても、日本でいう月10万円のお小遣いくらいの感覚である。賄賂だからもちろん所得税もない。賄賂を払わないとどうなるのか旦那さんにと聞くと、払えば10分で終わる証明書発行が1週間かかるとのこと。何をどう間違えるとそんな工数差が発生するのか全く理解できない。10分の作業を1週間かけるほうが難しいと思うのだが。

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賄賂の封筒。20万ドンを入れた。

旦那さんが賄賂を包んだ頃合いを見計らってケバい看護婦が戻ってくる。ありがとうの一言も言わずに無言で受け取ってまた診察室に戻る。ベトナムに長くいると気づくのだが、年長者は年少者に感謝や謝罪をほとんど言わない。家族の中でもそうだし、社会全体もそういうしきたりである。年少者は年配者に礼を尽くし、何か役に立つことをするというのが”ごく普通”のことなので、年配者はいちいち年少者に感謝や謝罪をしないということらしい。例えば息子娘が親に仕送りするというのは今でも割と当然のことで、逆に言うと自分たちの老後を支えるために子供を作るという考え方をする人も多い。だから仕送りに対してお礼を言ったりはしない。私は直接的に何か負担を強いられるわけではないが、こういうベトナム人の考え方は生活の至るところで露呈してくるので、日本人としては結構小さなストレスが溜まっていく。イメージしてもらえるとわかると思うが、年賀状、お年玉、お歳暮、、と気遣い程度ではあれささやかな贈り物をし続けているのに、ありがとうの一言もない状況に近い。ベトナムの若い人は、親や親戚に「育ててもらった」ので当然恩返しという気持ちがあるのだが、私はそうではないので供給過多で自分の中での納得感が得られない。これは国際結婚の本質的な難題かもしれない。旦那さんとの間の問題は双方歩み寄って解決できるが、親戚だったりもっと大きなコミュニティーの話になるとなかなか自分で解決できる範囲ではない。それに日本国民の持つ義理人情に固執するプライドみたいなものもあるし、こちらが歩み寄る恩義もないという自分自身の熱意の欠落もある。お互い失礼のない程度に距離を保ちつつ理解を示すそぶりを見せながら、良性の持病みたいに長く付き合っていかなきゃいけないのだ。

鑑定書が出来上がるのを待っていると旦那さんが「あ!」っと急に何かを思い出した。なんでも自分の年齢を言い間違えたらしい。(ベトナムでは、生まれたときに1歳とカウントし、誕生日関係なく正月をはさんで加算する等独自の数え方があるので、パスポート上の年齢と異なることがある)そんなに多くの質問に答えたわけじゃないないのにあろうか年齢を言い間違えるなんて、鑑定結果が大いに不安である。旦那さんは大急ぎで診察室に戻り、数分後安堵の表情で戻ってきた。医者に、年齢を言い間違えました、直してもらえませんか?と言ったところ、「賄賂をもらったから大丈夫」とのこと。いやいや”大丈夫”の意味がわからない。鑑定プロセスも”大丈夫”じゃないし、賄賂受領も”大丈夫”じゃない。でもそんなことに躍起になっても仕方がない。この地では、”大丈夫”というのは”なんらかの方法で融通がきく”ということなのだ。もしかするともう少しお金を積めば、ここに来なくても今日の全工程、”大丈夫”だったんじゃないか?

10分ほど待っていると、旦那さんが診察室に呼ばれて2人分の精神鑑定証のようなものを持って出てきた。精神鑑定は合格、検査終了である。こんな汚職の権化に精神良好の太鼓判押されても、なんだか逆に不名誉な気さえする。とにかくこうして形だけの精神鑑定は終了し、私たちは着々と婚姻手続書類を揃えていくのでした。

 - ベトナムをゆく

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