ノトニクル

ノトがパスポートとクレジットカードを持って世界のどこかをうろつきます。

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外国語に対する歪んだ愛 ~外大生のサガ~

      2017/06/15

ホーチミンに来て早半年も経ってしまった。髪が伸び、実の親をしてタイのニューハーフ呼ばわりされていた私の外見は一層実直に東南アジアナイジングを爆進している。レストランでベトナム語でオーダーを聞かれるのは常習化し、最近ではうちの会社に面接に来た面接者達すら私にベトナム語で話しかけるし、掃除のおばちゃんに至っては私の名前をMy(ミー)さんだと信じ込んだまま日々ベトナム語で話しかけ、返答が全く質問に対する回答となっていない私の返答を以って私がベトナム人でないことを日々思い出している。

ここ最近身の回りにベトナム人との付き合いが多くなってきたので旧正月明けくらいから本格的にベトナム語を勉強し始めた。私は何かに取り組むときには必ず目標が必要なタイプでそれは語学についても然り。ベトナム語はフランス語やイタリア語みたいに教材や試験の機会に恵まれていないので、1ヶ月でこのテキストを終わらすとか3か月後に越語検定2級を目指すみたいな定量的な目標設定ができないのだが、代わりにより高い目標―上級者向けベトナム語テキストを執筆して印税生活を送るという思い付き純度100%の目標をぶち上げて、今、現在完了「あなたは蛙を食べたことはありますか?」あたりの文法で躓いている。

その不可解なモチベーションがどこから来るかというとまぁ正直一番は老後の印税なのだが、もうちょっと他人の感心を得られそうな理由を書くとすると、今使っているベトナム語のテキストが母校(東京外語大)のベト科出身の大先輩の著書で、古い著書ながらその出来栄えに関心し、(私がこの地に辿りついたのは偶然とあまり褒められない惰性の産物であるものの)ここはひとつ偉大な先輩を追って人生で人様の役に立つまともな成果物を残さんと、この著書の「上級編」を刊行すべくすっくと立ちあがったのである。

ベトナム語レッスン

Amazonレビューにも「上級編を求む!」的なコメントを見たので、未来の執筆者たるもの早いところ初級を終わらせて中~上級レベルの力をつけねばと思ったのだが、世の中そう甘くはないものでこのテキストの「初級」感は私の思う「初級」では全然なくて、英語で言えば中学3年生の英語くらい難しい。

「君が4年もフランス語をやっていた時期があるなんて信じられない。」私のフランス語自己紹介を聞いてフランス人が私に放った感想は記憶に新しいが、地頭の悪さを尻目に5言語目を習得しようとする私。言語学習への飽くなき挑戦の原動力は、ネガティブを振り切って得られたポジティブさに溢れるそのマインドにある。

「私はこれらの単語をいつまで覚えないでいられるか?」

そう、覚えよう覚えようとするから覚えられないことに焦り、失望してしまうのだ。ここはひとつ視点を変えて、覚えないことに挑戦しようではないか。自分の脳みそはいつまでこの単語を拒絶していられるか、いつまで「1日で74%忘れる、つまり26%記憶する」というエピングハウスの忘却曲線理論*に逆らい続けることができるか?こういうマインドで臨めば、昨日見た10単語を1つも覚えていなくても、代わりに「今日も覚えないでいられた、ああよかった、ほくほく」と世の中の標準に捕らわれないという奇妙な自己満足みたいなものを得ることができる。そしてなぜか、“果たして私は明日も忘れ続けていられるか?”という極めて偏屈的で変質的な挑戦に心躍らせることが出来る。

 

2 人間は忘れる生き物なのです。堂々と忘れましょう。

 

それがどれだけ偏屈的で変質的であれ、こうした継続的な作業(学習ではないかもしれないが少なくとも作業ではある)を続けていると、嫌でも記憶は蓄積され次第に脳内ベトナム語データーベースのメモリ量を増加させ、OSたるベトナム語思考回路を形成していくことになる。万里の道も1歩から・・・数十年後には上級テキストで印税生活も夢ではない。その前に他の外大の猛者が先行刊行したらその著者を極めて個人的で理不尽な理由で逆恨みせざるを得ないことになるけれども。

ベトナム語は私史初、非ゲルマン・ラテン系語族なので、全く素地というか土台になる言語がなく、脳に取り込む前の下準備的な作業(“机に向かい続ける”など)に結構な時間を要している。フランス語はなんだかんだでスペルや文法は結構英語に似ているし、イタリア語に至ってはフランス語と同じラテン語族なのでかなり似ていてすぐ覚えられる。しかしベトナム語はそういう土台がないので、まず文字(アルファベットの上やら下やら斜め上やらに色々アクセントがついている)に対するアレルギーを払拭して、不可解なスペルを既存のDB内で検索する癖を直さなければならなかった。

そういう諸々の抵抗を払拭するのに3か月くらいかかった。(長い)今ではむしろ声調記号がない英語のアルファベットはシンプルすぎて物足りないくらいだ。

ベトナム語というのは声調(中国語で“マー”が4種類の発音で意味が違うというアレ)が6種類あって、アルファベットの上やら下やら斜め上やらに点やら線やらがつきまくっている。辞書でdoなんぞ引いたら半永久的に見つからないなど新しいタイプの嫌がらせである。

5 4 3 doの競演。ベトナムには様々な”ド”があるようだ。

その上ホーチミンは南部訛りが激しく手持ちのテキスト音声(ハノイ方言)とは音が違う上、音をつなげて話す傾向にあるので(ハノイ方言はもっと音が分断されている)更にわかりにくい。よく言えば歌うように喋っているのだが、歌は歌でも江差追分(ご存知でしょうか)みたいな感じなので先天的にあか抜けない。(スイマセン)

語学学習の長期戦については斬新な発想で辛さを誤魔化し乗り切ろうとしているものの、語学習得の手法は以前大学同期を交えて極めて真っ当に検討したことがある。議論が拡散したので結論はない。ただ個人的な見解だけ言えば、毎日短時間でいいから復習すること、ある程度文章を読めるようになってきたらディクテーションとシャドーイングを行うことが王道で最も効率的な手法だと思っている。

だが私は知っている、言語習得の最大にして最強の手段は現地に恋人を作ることであるということを。実(まこと)しやかに囁かれているが何のことはない真に実(まこと)である。そんな不純な動機と思われる方も多いかもしれないが、繰り返すがこれは事実である。この不屈のモチベーションを産む手段の効率性はどんなディクテもシャドーイングも足元にも及ばない。私の知る限り外国語を母国語のように話す人は次の2つのどちらかに当てはまる:①恋人がネイティブであるか②本人が変態である。

私が上級者向けベトナム語テキストを刊行する暁には、学習者の努力を足蹴にするこの気付き、後世のため語学習得の真理として明言したい。確かに現地の恋人などそう簡単に手にはできない、なるほどこれは上級であると、文法攻略しか頭にない若い外大の後輩どもに人生経験の差を知らしめん・・・と、明日もまた「あなたは蛙を食べたことはありますか?」を新鮮な気持ちで復習するのであります。

 - ベトナムをゆく, 語学習得