ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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ノバティカルクロニクル 帰れトレントへ(後編②)

      2014/09/09

トレントのコレドでひたすらハムを仕込む。ハンバーグみたいな形のモルタンデラ、ルガネガ、サルシッチャ等々。なんでハムを仕込んでいるのかと言われると自分でもよくわからないのだが、来てみたら面白かったので結局1ヶ月近くハムを作る事になった。帰国して復帰後人事に休暇中何をやっていたのか報告するのだがなんて説明しよう、いや、何を説明しよう?一応英語力を上げるというコミットはしたのだが、イタリア語しか喋っていないので英語にイタリア語が混ざるようになってしまった。(ちなみにフランス語は”merci”が思い出せなくなるレベルまで落ちました。)
毎朝8時に出社(?)して、何十キロもあるハムを捏ねたり洗ったり揉んだりしている。使う肉は豚と牛だが、豚も牛も丸々1頭やってくるので、ほとんどここで解体する。ノトは初心者なので難しいことはしないのだが、それでも20kg以上はある肉をひたすら切ったり捏ねたり運んだりしている。春先まで足繁く通っていた筋トレの成果はこの辺境の地で発揮される事になる。

IMG_0481モルタンデッラ。ハンバーグ状にまるめたスパイシーな豚ひき肉を背脂で包み、薫製・脱水・熟成を行います。


牛の屠殺にも立ち会う。気持ち悪くなったりするのかなと思ったが、そういうこともなく結局終始立ち会う。正直なんの感情を感じる暇もなく屠殺は進んだ。可哀想だとか痛そうだとかそういう感情を抱く以前に、マッシモの、無駄なく進行する処理に美しいなぁとさえ思った。射殺して逆さまに吊るして首を切って血を出す。間接に刃を入れて頭と手足を外していく。皮を剥いで内蔵を取り出して脊髄から真っ二つに割っていく。終了。解体された肉塊を見て空腹になった自分をほとほと残念だと思う。

コレドでもまたよく料理を担当する。
コレドは標高800mに位置する村なので、魚介がほとんど手に入らない。湖で鱒はとれるのだが、地元の人が好んで食べないので、新鮮な鱒が手に入りにくいし料理の仕方もシンプルだ。ここの人々もまた食に対してとても保守的だ。他地域の食べ物にあまり興味がないらしく、地元で採れるものをひたすら、いつも同じ調理法で食べている。これほど保守的な人たちには、塩気のない米とかみそ汁みたいな和食は絶対受け付けられないという確信があるので、ノトここでいつも洋食を作っている。
ある日パエリアを作ることになって、それならば友達も呼ぼうということになり、10人分用意する事になる。しかし10人中5人魚介が食べられないということなので、2種類の肉、鶏肉とサルシッチャフレスコ(豚のフレッシュソーセージ)で作ってみることにする。魚介を入れないパエリアを作らずに違う料理にすればいいのだが、直前の変更は何かと混乱を招く上に変更理由をノトがイタリア語で説明できないので、魚介なしのパエリアで賭けに出るしかない。こういう背水の陣で神に見放されないよう、最近は日頃から善良に生きるようにしている。アーメン。
パエリアの仕込み。小さめに切った鶏もも肉を多めのオリーブオイルで揚げ焼きにして、余分な脂を溶かしだしながら皮をパリパリにする。サルシッチャは一口大に丸め直して両面香ばしくグリルしておく。フライパンを洗ってオイルを入れ直し、ズッキーニを香ばしく焼いて取り出しておく。またオイルを敷いてニンニクとパプリカで香りをつけてから米を炒め、透き通って来たらサフランのスープと肉を入れて蒸し焼きにして最後にパプリカとズッキーニを並べて強火でおこげをつける。結果、魚介が入っていないのでやはり風味が乏しいのと、サフランの風味が意外と弱い。ただ足りなかっただけかもしれないが。もうここでパエリアを作るのはやめよう。
魚を食べない人たちは本当に魚を毛嫌いする。先日たまたまテレビを見ていたら、「触りたくない気持ちの悪いものシリーズ」で芋虫の山盛りの次に魚の山盛りが出て来てびっくりした。魚を食べる習慣がない人たちにとって、芋虫と魚は同様のものなのだろうか。
サイドディッシュにはフレンチ風のコールスローを作る。ここの地方は結構大きなリンゴの産地でもあるので、何かリンゴを使った料理をということでリンゴを入れたコールスローを作る。リンゴとローストしたクルミ、セロリ、キャベツで作る、ルコルドンブルーのレシピだ。コールスローなのだがマスタードも使うので重くならなくて、リンゴとクルミの組み合わせがとても美味しい。刻んだパセリをたっぷり入れるのがポイントで、これがないとただのケンタッキーのコールスローになる。
そして今回のディナーのデザートには、この地域でよく見るフォレノワールに似せて、ラムに漬けたサクランボ入りのガトーショコラを作る。この地域はオーストリアに隣接している上に昔オーストリアの領土だったこともあるので、ドイツやオーストリアのケーキがかなり台頭しているため、こういうアレンジは受け入れられやすい。フォレノワールの他にも、例えばストゥルーデルはこの地域のお菓子として不動の地位を築いているし、他にもザッハトルテもよく見る。
ガトーショコラは日本では相当有名だが、この地方では全く知られていない。ザッハトルテでもよかったのだが、ココアとチョコレートを混ぜた強い風味を試してもらいたかったのでガトーショコラにしてみる。チョコレートはリンツのカカオ70%が売ってあったのでそれを使う。
結局ガトーショコラってフォレノワールに似てるねという感想をもらい、ならフォレノワール作れば良かったと思ったものの、喜んでもらえたので結果オーライ。
イタリアのデザートと言えばティラミスだが、そういえばイタリアでティラミスをあまり見てない。日本のイタリアンレストランでティラミスに遭遇する確率の方が高いかもしれない。イタリアでも良いマスカルポーネはなかなか手に入らないこともあるが、日本人と比べて断然、地元の料理を頻繁に食べることが背景にあると思う。米所のおやつがいつも団子みたいな感じだろうか。(米所のおやつがいつも団子なのかどうかは知らない)
ちなみにイタリアでドルチェ(食後のお菓子)を食べないイタリア人を今のところ見た事がないくらいみんな結構な甘党なのだが、その割にはケーキのレパートリーが少ないしだいたい結構な大味だ。日本人が大好きなスフレチーズケーキは実は日本以外では知名度はものすごく低い。フランスでも見た事ない。先日、ただの興味本位から、この味がウケるのかどうかここで作ってみた。想定の範囲内ではあったが、やはりあまりウケなかった。繊細な味というのはどうやらあまりウケないみたいだ。対してザッハトルテは3回作った。あまりにもこのケーキのリクエストが多いのでハンドミキサーをこちらで購入したくらいだ。ちなみに本来はアプリコットジャムを挟むのだが、ラズベリージャムに替えて作った方が味に主張があって美味しい。

こちらに来てから頻繁に、レシピを全部スキャンしてipadに入れて持ってくれば良かったと思っている。学びにいくのだからこちらから提供しないだろうと思ってたのだが、意外な程ノトが料理する事は多いし、食べ慣れたもので作れば保守的な彼らでもかなり喜んで食べる。あとノトが必ずデザートを作るのが好評のようだ。フランス料理でもそうだがイタリア料理でも料理は”サラート(塩気)”と”ドルチェ”(甘味)という構成になっているらしく、最後に甘いものを出さないと塩気ばかりでバランスが悪いらしい。1回の食事のカロリーの2−3割はドルチェに充てているかもしれない。ケーキを出しても日本人みたいにちょこっと一口食べることはなくて、大振りに切って食べている。エスプレッソもだいたいみんな砂糖をたんまり入れて飲んでいるので、消化のためというよりは口直しとかデザートの感覚に近いかもしれない。

話は変わってこの地方のイタリア語について。2ヶ月もイタリアにいるとさすがに少しはイタリア語を喋れるようになるのだが、ここの訛りはものすごくひどくて更に苦労する。ノトに話しかけるときはさすがに標準語でゆっくり話しかけてくるのだが、現地人同士の会話はもう何言ってるか全然わからない。Sが全部訛っていて、サシスセソがシャ/シ/シュ/シェ/ショになる。普通に単語も訛っている。フロマッジョ(チーズ)がフロマイ、ドマニ(明日)がドマン、メラ(りんご)がポミ。ここではラディン語(ladino)というロマンス語の一種が話されているらしく、イタリア語に”似ているかもしれない”くらいイタリア語と違う。ちなみにここから20kmくらい離れた別の街はまた全然違う訛りがある。そしてもっと遠い地域、例えばナポリの訛りは、ここの人たちは理解できないらしい。なぜそんなに強い訛りが残るのか疑問なのだが、多分地元愛がものすごく強くて、あまり遠くに行かないし地元に家族で住み続けることが多いので人の流動がないから、イタリア中ガラパゴス島が集まったみたいになっていくのだろうか。ちなみに標準イタリア語はわりとどこでも通じるので、イタリア語をやっている人はめげずにがんばってください。

IMG_0084コレド村。ドロミティ警告が見えます。

IMG_0134夜のガルダ湖

そういえば訛りではないが、一緒に働いているイタリア人達と好きな曲の話をしていた時、ノトがMaroon5が好きだという話をしたら、ああチンクエマロニエねと言う。いや、チンクエマロニエじゃなくてMaroon5だと言うと、だからそれはチンクエマロニエだと言う。たしかにチンクエ(5つの)マロニエなのだが、固有名詞まで意訳しなくてもいいだろう。iphone5もiPhoneチンクエなわけだが、”iphone for Stive”とも語られたiphone4SはイタリアではiphoneクワトロSで、イタリア人にとってはこの製品に込められた想いがスティーブ宛でも誰宛でもどうでもよさそうだ。ちなみにミッキーマウスは「ミッキーマウス」と言っても通じなくて、「トッポリーノ(小さいネズミ)」だそうだ。実際辞書にも「Topolino(固有名詞)ミッキーマウス」と載っていて、ディズニーはイタリアのアニメだと言っているイタリア人もいたくらいだ。もしかしたらAppleだってイタリアのメーカーだと思っているのかもしれない。

ちなみにノトはいつからイタリア語喋りだしたんだと思う方がいるかもしれないので一応言及しておくと、ゼロから始めるイタリア語(文法中心)」で独学していた。タイトルはまともなのだが、各セクションの文法用例を説明する冒頭の例文中、ビッチ、貧乏で誠実、裕福なチャラ男が昼ドラに負けないドロドロを繰り広げる。おかげさまでストーリーが気になって毎日能動的に勉強できた。実はノトは大学時代にフランス語専攻だったので、同じラテン語派生のイタリア語は文法的に3割くらいハンデはあったと思うが、イタリア語は日本語同様、主語をほとんど言わないで動詞の活用で誰が何しているのか表すため、こちらに来てからの聞き取りにとても苦労した。(というか今でも聞き取れない)しかもこういう時に限って前述のテキストをフィレンツェの道中のホテルに忘れてきてコレドで文法を学べず、不便というかそれ以前に未来系と過去形が未だに使えない状態にある。

しかし2ヶ月くらい詰め込みでイタリア語をやってみて、語学習得について感じた事。フィレンツェにテキストを置き忘れて来たノトがこんな事言うのはおこがましいことこの上ないが、ネイティブでなくて語学力を高めたいなら文法は絶対きちんとやったほうがいい。よく日本で英語が浸透しない理由に文法中心の教育方針が間違っているという理由が挙げられるけれど、それは違うと思う。ノトは留学経験はないが英語は割とよく喋るし、その基礎は高校までで習った文法と熟語で、今でもテキストを見返すくらい活用している。文法学習は自分の頭の中に新しい思考回路を構築していく基礎作りに等しい。文法で基本となる土台を作って、聞いて喋って読んで思考回路を足したり直したりしていく。だから文法を大事にする義務教育を頭ごなしに否定するような意見は安易な考えだと思うし、「たくさん喋る」とか「聞いて覚える」というのは、逆にある程度の基礎がないと成り立たない。ある程度の基礎というのは中学3年生レベル、仮定法まであたりだ。
もう一つ、日本で英語が浸透しない理由とノトが思うものに「完璧主義」がある。日本人は何でも完璧でありすぎようとする傾向がある。きちっとやる、きちっとする。それが功になることも多いが仇になることもある。しばしば私たち自身の首を絞めるし、更に悪い事に挑戦から身を引かせる。「ちゃんとした英語を、仕事ですから」という英会話教室の有名な広告がある。しかし、ネイティブでない日本人の誰が、ちゃんとした英語なんかしゃべれるだろう?ネイティブじゃないし留学経験もないのだから、”しゃべってあげている”くらいのスタンスで挑んでいい。そういう開き直りがあってこそ躊躇なく喋るようになると思うし、トライアンドエラーを繰り返しそのうち磨かれて行くと思う。

さて、イタリア人に「おまえ頭おかしい」と言われ始め、もうイタリアでも日本でもどこに住んでも一緒だと思い始めた今日この頃なのだが実は明日帰国の途につく。
誰もがコンサルへの職場復帰は不可能だと思っていたであろうところ、割と普通に復帰することになる。ハム作っていた事が人事にバレませんように。

 - イタリア旅行記, 料理

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