ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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帰省してごろごろした話②

      2021/07/24

この日は朝から近くのカフェにコーヒーを飲みに行った。コーヒーと言ってもベトナムコーヒーしかないのだけど、お店が改装されて少し小洒落た感じになっていた。何より驚いたのが、綺麗なトイレが出来ていた。しかもトイレットペーパー付きだった。まさかクアンケ村でトイレットペーパー付きの水洗トイレを公共の場で見るようになるとは思いもよらなかった。今まで、和式紙なし手桶式しか見たことなかったのが、洋式紙あり自動水洗になった。このカフェだけじゃなくて後日行ったカフェも洋式紙あり自動水洗だった。こんな僻地にもTa Dungの影響で都会化の流れは確実にきているのか。感動して写真に撮った。あとから見返して、そこに映っていたのはただのトイレであった。
カフェで何をするでもなくコーヒーを飲み終え、昼を食べて例によって昼寝をする。前日は湖畔でセミが煩かったので屋内で寝ることにするが、それを見越して義母がエアクーラーという、大型の空調機みたいなものを買ってきた。これと扇風機数台を稼働させて暑さをしのぐ。エアコン1台買ってくる方が安い気もする。このエアクーラー、水を入れてその気化熱で冷気を出すという仕組みなのだが、水の気化熱なんか知れたもんで、大して涼しくない上に冷却範囲が恐ろしく狭い。みんなで群がると冷気が渡らないので、私と娘だけで独占して使う。ほんと遠慮のない嫁であるがしょうがない。私北国出身なので大目に見てくれ。熱い屋根から最長の距離を保つべく床に最大限へばりつき、エアクーラーの冷気の中に佇む。それでも暑いが数日間の辛抱だと我慢して寝る。昼寝するのにも一苦労である。

私と娘とエアクーラー

暑さでより疲労する昼寝から起きると、私のために用意したとかいうドリアンを食べさせられる。庭にドリアンの木はあるけどまだ実っていなくて、わざわざ買ってきたということである。あの嫁が来るときは水回り便利にしておくのと、甘いもの食わせとけばいいと思われている。実際その通りである。

ドリアンの他に、義母が謎の葉っぱで作った亀ゼリーみたいなものを勧めてくる。全然食べたくないんだけど、滋養にいいとかでがっつりコップ一杯よそってくる。青汁ゼリーココナッツミルクソースみたいな味がする。どう転んでも全然おいしくない。というかクソまずい。しかしみんなバクバク食べている。ベトナム人は亀ゼリー好きですよね。コンビニにも売ってる。

その後、裏庭にアボカド収穫に行く。私は小学校の頃アボカドの種から木を育てていたほどのアボカドフリークでして、しかし北国ではアボカドは育たず、その時不完全燃焼した情熱が30年間持ち越しの末今やっと消化されることとなる。食べもしないのにアボカドを出来るだけ多く狩らなきゃいけないような、俗にいう貧乏性的な衝動に駆られる。10個くらい刈り取ったのだけど、裏庭に生えているアボカドはズッキーニみたいに細長くて、バナナみたいにねっとりした食感の品種で、わさび醤油と激的に相性が悪い。スムージーにできるがそれでも何十杯も飲むわけでもなく、あれだけ意気揚々と刈り取っておいて、後日全部捨てたとはまさか言えない。

アボカド狩りから帰ると、隣の家のばあちゃんが遊びに来ていて、私にそろそろ2人目を産めと指示してくる。今日本で流行ってる不妊忖度聞かせたい。子供は多ければ多いほどいい!みたいな熱弁が始まったころ、猛烈な雨が降り出してばあちゃんは洗濯物をとりこみに家に帰って行った。やれやれ助かった、恵みの雨とはこのことである。旦那さんの実家の屋根はいわゆるトタン屋根で、雨の音がすごく響いて、まったく会話が出来なくなる。マンガのように空間が騒音で埋まる。昼間の暑さといい、夜の雨音といい、こんなんじゃおちおち勉強も出来ないよなぁと思う。何するにも非効率なこんな田舎に住みたいとは全然思わないけれど、自分の境遇が非常に恵まれているものだと自覚して謙虚に生きるために、定期的にここに来ることは必要だなあと思う。生まれる境遇なんてものは自分の努力ではなく単純に運で決まるものなのだから、運よく恵まれたものはそのハンデを世の中に還元していく努めがある、と私は実は本気で思っている。

その夜は雨のせいですごく寒かった。さっきまで謙虚に生きたいとか言いつつ、でも今すぐホテルニッコーの熱い湯船に浸かって上質なベッドで寝たいと思った。そして寒空の下、派手に風邪をひいた。

 - ベトナムをゆく

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