ノトニクル

ノトがベトナムのどこかをうろつきます。

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ベトナムという国の本質

      2018/05/30

先日買ったばかりのウールのパンツをクリーニングに出した。ウールだから水で洗わないようにと、5回くらい「ドライクリーニングで、水洗いしないように」と店に念を押した。ところが案の定というかなんというか、クリーニング屋は丁寧に水洗いし、たっぷりダウニー臭をちりばめて、随分縮んでしまったパンツを丁寧にアイロンでボヨボヨに引き伸ばして返してきた。私はもうベトナムに通算3年くらいいるのでさすがにベトナム人へのものの依頼のコツをつかんではきたが、やはり気を抜くと期待したものは出てこない、むしろ改悪して返してくることが往々にしてあるとすら言える。小学生にお遣いを指示するように指示を出さなければうまくことは運ばない。何度も根気よく、時には絵を描いて説明する。彼らの「出来る」は全くあてにならない。「出来る」というのは「(自分なりに)やる」に過ぎない。やらないことすら多くある。出来ないことに対する恥や見栄という感情をあまり持たないように見える。それは、ほんの一握りの海外経験のある知識人を除き、高学歴を持つ上流階級から貧民まで、押しなべて同様である。私はこの状況を”一国総ゆとり”と呼んでいる。

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ベトナムは急激に発展する途上国としてしばしば持ち上げられるが、果たしてこれらのサービスを含めた国の産業レベルが先進国レベルに達することは今後あるのだろうか?最近子供が生まれたこともあって、私はベトナムという国の本質的な成長力にこれまで以上にに関心を寄せている。この国は、国の税金を国の発展のために正しく使い、優秀な国民の力で国力を底上げし、高付加価値を生み出し、先進国に対して地政的な強みや資源以外で大きなプレゼンスを発揮するに至るのだろうか?私が最近確信するに、残念ながらそんなことは決して起こらない。この国の行きつく先に「先進国」はない。

ベトナムでの現在の状況は、安い人件費を売りつつ外資参入によって国のインフラ構築を進めている。開発経済的にはこのやり方は王道である。安い労働力を外資に売ることで、海外から投資を寄せ付け、流通を含めた市場の基盤を作る。そうしつつも技術移転ノウハウの移転を行い、自国産業の開発力・付加価値を高め、外資の侵食から徐々に独立し、自走に機軸を移していくというのは経済発展の基本的なセオリーだ。しかし残念ながら今のところ、ベトナムでは想定程生産の技術はスピンアウトしていないし、外資の圧倒的な製品力によって自国産業が駆逐されている。貿易輸出の大半は外資工場製の機械部品だ。今この国を覆う熱気と活気は、外資の投資・投機によるバブル景気だ。外資なしにはインフラを維持して行くことすらできないだろう。今ホーチミンでは地下鉄を作っているが、金も技術も外から来たものだ。きらびやかな高層ビルも、大型ショッピングモールも、外資が入らなければ中味のない張りぼてだ。ベトナムが独自の力で創造し、提供している高価値のものは実はほとんどない。

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しかし、労働力提供から付加価値産業への移行というのは言うほど簡単ではないことは想像に難くない。ノーベル賞受賞者のアメリカの経済学者サイモン・クズネッツもかつてこう言った。「世界には4つの国しかない:先進国、後進国、後進国から先進国になった日本、先進国から後進国になったアルゼンチンである」。途上国から先進国への移行が困難である理由は枚挙にいとまがない。ぱっと思いつくだけでも、国の財政、戦争や内戦や外交的なかじ取り、天災といった不可抗力、通貨の暴落…あまりにも不可避要素が多く予想が難しく、投資した分の結果を確実に得られるというものではない。それでも、確固たる信念を持って何世紀にも渡って築き上げるもの、それが国の力、国の豊かさというものだろう。実際に故ホーチミン氏だって多分に美化されている部分はありつつも、“自由と独立”という明確な目標を持って国を引っ張り、その後のドイモイ政策もあって、ベトナムは精神的・物質的な豊かさ手にしてきた。

しかし現在のベトナムという国とそこに生きるベトナム人は、自国の発展へのコミットメントがあまりにも希薄に感じられる。マクロもミクロも、他人から、他国から、いかに楽に金をとるかという短期的な視点ばかり持っているように感じられる。改善するための仕組、きっかけづくりの動きがない。またそれに価値すら感じていない様に見受けられる。

もちろん国の発展というマクロな観点で、ベトナム人という個々を咎めることは出来ない。個人が各々の個人的幸福を最大化するように動くのはどの国でも当然のことだ。それでも、私が“人”という単位を国の発展阻害要因に用いたいのは、あまりにもベトナム人の個人主義が先行し、他人や社会に対する責任や配慮というものが欠落しているように見受けられるからである。そして悲しいかな、それを最も認識しているのはベトナム人自身だ。ベトナム人は親族以外のベトナム人を決して信用しない。ベトナムの製品も会社も信用しない。(実際に、内資の純ベトナム企業が作る商品は、安かろう悪かろうというものが非常に多いのだ。他人がそれで健康被害をこうむっても自分たちが儲かればいい。電池の廃液を使った偽コーヒーや、最近流通量の多い国産ワインにも赤い蛍光着色料が不気味に光る) そういう慣習が結局、集団としての強さを生むことを阻害する。三人寄っても”文殊の知恵”にならない。各々が好き勝手に自己利益を追求するせいで、身近なところで言えば交通ルールの無視から始まり、当局担当者ぐるみでの脱税、賄賂の横行、と少しずつ大きな問題に積み上がり、結果国レベルの不正横行となって国の発展を阻む。つまり、ベトナム人はみんなどんな人も政府役人の汚職に腹を立てているが、私から見ればそれは各々が毎日そこかしこでやっている習慣が目立つほど大きくなっただけであり、閉鎖的で特殊な環境のみが役人を汚職に駆り立てているわけではない。ベトナム人の悪しき習慣が根幹にあり、それを内部浄化する思考もなければ当然試みもない。思考、慣習、仕組みが変わらなければ、どんなベトナム人が役人になっても、汚職習慣にあっという間に感染して自ら手を汚すようになるだけだ。

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汚職や不正の習慣が国にもたらす弊害で最も大きなものは、優秀な人材の流出だろう。腐った土壌に有能な人材は住みつかない。それがひいてはベトナムと言う国の成長力を長期に渡って削いでゆく。

ベトナムにも国を引っ張っていけるだけ優秀な人がたくさんいる。しかしそういう人たちはベトナムを見限り、ベトナムを出ていってしまう。ベトナムで外国語学習が熱心に行われている一番の理由は、この国の秩序から、もしくはこの国そのものから他国に抜け出すためだ。ベトナムでは生命の危機にさらされるほどの絶対的貧困はほとんどないが、継続的に豊かで安全で保障された将来を純ベトナム人のまま・・・・・・・・・手にすることはほぼ不可能だ。海外留学するか、外資企業に勤めるか、海外に住むことによってのみ「脱ベトナム」出来る。国に金をかけてもらった国費留学生さえなかなか国に帰ってこない。一部の国費留学生はベトナムを良くしようと志を高くしてベトナムに戻って来て会社を興したりするけれど、ベトナムにおいても多くは外資のトップに高給で雇われる。志高くても政府にコネがないと事業ライセンスすら取れないし、大なり小なり手を汚さないと事業の継続もできない。フェアでクリーンな先進国で育ったエリートはそういう汚いことに巻き込まれるのを嫌がる。またそんな不透明なルールを押し付けられなければならない程選択肢がないわけでもない。(というか国費留学生など超優秀なので超売り手だ)だから手っ取り早く稼げる外資・外国に逃げてしまう。結果ベトナムではいつまでも自国産業を育てる自国民が育たず、長期的な利益を生み出す人的資本が蓄積されない。

ベトナムは国として、今外資が落としている税金で国の教育に力を入れ、国を発展させる人材の育成に本腰を入れればいいというのは誰もがわかっている。なぜそれをしないかというと、利権者をはじめ各々が国の発展よりも自分の懐を潤すことに邁進しており、その権利を決して手放さない精神が蓄積してベトナムという国を形成しているからだ。役人は横領した得た金で海外に別荘を買い、子供達は海外留学させる。相続税もないので富は再分配されることもない。

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どうしたらこの状況を改善できるのだろうか?わからない。教育かもしれないし躾けかもしれない。でもそれらも、国の中から自発的に湧き出てくるものだろう。ベトナムにそういう浄化のモチベーションはあるのだろうか?わからない。中進国になって世界の経済市場から見放される時になって初めて気づいて、自ら浄化を始めるかもしれない。中進国の罠に陥ったタイの低迷を見て明日は我が身と気づける日が来るかもしれない。でも少なくとも、それがここ数年で起こることはないだろう。外資の投資を自国の力と勘違いし続け、胡坐をかき続ける時代はまだ続くだろう。転機はあと10~15年後あたり、国の仕組みが目に見えて変わるとすれば20年後あたりだろうか。

ベトナムは、周りが騒ぎたてている程実力のある国ではまだない。国際市場の中で確固たる存在感のある国だとは、まだ手放しでは言えない。ベトナムが一躍有名になったのはベトナム戦争であるが、そのゲリラ戦を戦い抜いた顛末を引き合いにベトナム人の粘り強さやなんかが語られたりするものの、それはベトナム人の気質を表現する正確な例えではない。ベトナム戦争について少し調べればわかることだが、なにもベトナムはアメリカに勝ったわけではないのだ。この戦争はアメリカが勝手に内部崩壊しただけで、ベトナムは米ソ代理戦争の戦場にされてしまっただけだ。ベトナムはまだ本質的に、本格的に、国際経済の舞台で勝負していない。このままだとチャイナプラスワンとしての生産拠点とマーケットプレイス止まりだろう。本腰を入れて国にテコ入れ出来る人材は現れるのだろうか?ベトナムにとっての本当の正念場はこれからだ。

 - ベトナムをゆく

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